なんと8日分。。
**宇宙mix(哲学漫談、クレイジートーク)パロール版**
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**宇宙mixエクリチュール版**
**哲風呂**
受動的総合と中立性変様についてである。おれはおれで、あなたはあなたと線引き。覚醒しているとき、ひとはときにいがみ合い、かみついたりする。自分の心のなかの記憶はだれのものではない。おしっこもらしたこと、おならをしてしまったこと。ところが、寝ているときはそんな境界が取り外されるのではないか、というお話である。
フッサールの受動的総合についてである。あれがこうなって、ここがそこにつがるから、きっとタバコ屋のばあさんは爬虫類だと決め付ける。自発的に考えて、いろんなものを総合し、判断しちゃう。ところが、自発的に判断しなくても、一発で受動的になんかあると気がつく。受動的総合である。フッサールは受動的といっても、最小限の自発的な力が働いていると考える。
次の話は中立性変様である。これは饅頭で、あちらにるのはお姫様だと判断。こうだと定めるのを定立作用という。存在してるんだ、と存在定立。ほんとにお姫様かよ、お疑わしいものを定立するのが懐疑的定立。こんな定立をやめて判断停止してみる。すると、なんと線と色しかみえず、もはや、立体感すらなくなる。すべてを中立化してしまうのである。
まとめ
存在の科学
異次元理論
覚醒しているときは、私と他者ははっきりわかれている。私がみたもの、感じたものは私の記憶だ。感じられたり、思い出したりするときも、宇宙の空間点、ZPFにアクセスして固有周期に一致したロッカーから得る。ところが、寝ているときは超リラックスしていて、鍵がかかっていない。無意識化や睡眠中の夢、これが他者の記憶やクオリアを無数の固有周期のロッカーから断片的に取り出したものだ。そもそも、ZPFの点は高次元を巻き込んでいるので、別四次元時空、別平行世界からも断片的に情報を得る。
異次元、高次元からのエネルギーの流入がこの宇宙を膨張または爆縮させている全体の73パーセントを占めるダークエネルギー。高次元アクセスは夢や無意識であった。ここから宇宙はエネルギーを得ている。覚醒時には見えない、光を反射、放射しない夜のまどろみの世界である。
クレイジートーク
今朝方、雪が降り、路面はアイス盤になっている。それでも出勤なのだが、くるまがスリップしそうであり、しかも、渋滞だ。ああ、朝からストレスかかりまくりぷ〜って言う感じで辛抱強く渋滞中に世間のいろんなことを考えてみた。ほとんど悟りの境地に達するのではないか、という卓見で、やばい、朝っぱらから悟りはまずい、ということで、現実に帰還し、仕事が始まったしだい。このへんでクレイジーも終わって、冷たい風が吹き荒れるならお仕事らんらんらん、労働の喜びらんらんらんと鼻歌を歌うことにしよう。
**哲風呂**
無とクオリアについてである。そよ風を感じながらサイクリングである。青い空、白いパンツ、真っ赤な太陽。なにかを感じている。高次元のなにかにアクセスしてそこからストローで吸収している、これが感じること、思い出すことではないか、というお話である。
無とはなにか。なにもないとはどういうことか。西洋哲学、とりわけ古代ギリシャ哲学などは存在ってなにかを探求。どっちかというと、無をテーマにすると東洋っぽい。ところが、無を題材にした哲学者もいるのだ。哲学者ハイデガーである。無を考えるとはぼ〜っとなにも考えないこと。無は感じられるのか。私の存在っていうのは無にかこまれている。おれはそこにあるぞうきんではない。それだけでなく、生まれる前と死後、私がいないという無。この無にふれてしまう。無は不安なのだが、覚悟して自分の存在の外に手を伸ばし、自分の存在をつかんじゃう。私と世界ではなく、私にとっての世界、世界にとっての私。だから、世界そのものが滑り落ちる壮大なお話だ。
これに対してサルトル。無なんていうのはそんな大げさではなく、いつも無をジャコウネコのフェロモンのごとく分泌しまくっているよ、と考える。ぞうきんを意識するとき、私はぞうきんではない、とつぶやく。意識している私は意識されているぞうきんではない、私とぞうきんのあいだに無を分泌。ほかならぬ、私自身を意識するときもいっしょ。自己意識である。意識している私と意識されている私のあいだに無の分泌だ。
次の話はクオリアについてである。真っ赤な太陽、寒いといいながらポケットに手をつっこむ。いろんことを感じている。感じることがクオリアである。感覚質ともいう。哲学的ゾンビという話がある。やまちゃんは果たして青い空を見て、感じているのか。やまちゃんに変身できないからわからない。やまちゃんはゾンビかもしれないのだ。また、フランクジャクソンのマリーの部屋というお話がある。マリーは頭脳明晰な科学者。人間がなぜ物をみれるのか、電気信号にかえて脳で認識という。しかも、科学的な知識のある物理学者だ。ただ、マリーは生まれてから部屋の外に出たことがない。マリーの部屋は質素で、すべてが白黒。そのなかでも赤い、青いという概念は知っている。そんなマリーが部屋からでて青空をはじめてみる。物理的知識以上のものをかんじたのである。あくまで、クオリアは主観的なものではないか、知識ではわからないものではないか、という仮想実験だ。
まとめ
存在の科学
異次元理論
無の点、ZPFは真空エネルギーをもつ。宇宙のすべての点を集めると膨大すぎて、宇宙は破裂してしまう計算になる。素粒子を点とみなすからだ。そこで線、ひもと考えた。そうすると、宇宙が破裂しない程度のエネルギーになるという。超ひも理論、超弦理論である。このひもはどんな形なのか。超ひも理論だと宇宙は全部で10か11次元だという。われわれは三次元と一次元の直線を加えて、四次元時空にいる。残りの六次元、余剰次元が線、ひものなかに巻き込まれているという。そして、ひもは振動し、共鳴し、万物をつくる。
無の点ではなく、無の線、ひもである。この高次元をまきこんでいる形がカラビヤウ多様体だという。母体のなかの胎児のような形だという。このひもは高次元が巻き込まれているので、ここで多世界、平行宇宙とアクセスし、ひとはなにかを感じ、クオリアがあり、記憶を貯蔵できる。
さて、無の線、ひもではなく、宇宙は二次元の膜でできているというブレーン理論もある。これまたカラビヤウ多様体だ。今後、無の平面ではなく、無の三次元、さらには無の四次元時空が世界を構成しているという理論がうまれるかもしれない。つまり、四次元時空をつくっているのが四次元時空の超コンパクト版、カラビヤウ四次元多様体。すると、ふつうにそこでは時間が流れ、三次元の空間がある。いってみれば、実現しなかった未来、平行世界がこの宇宙の構成要素であり、意識あるものはそこにどこにいてもアクセスできるのだ。
クレイジートーク
日曜日なのに、仕事。電気屋さんである。江東区の永代というところ。久々にこの会社にやってきた。それにしても、待機場所は日陰、寒くて氷河期の恐竜のような思いでいままさに耐え忍ぶ。からだを小さく丸めて、まるでアルマジロのような姿で車内で小さくなっている。さて、おいらが現場に入る番なので、ここでクレイジー終了だ。
**哲風呂**
排中の原理、イリヤ、そして、アンガージェマンについてである。量子論の大きな二つの解釈問題。大きな栗の木の下でかりんとを発見。食べてはいけない。話が横におおきくそれたが、コペンハーゲン解釈と多世界解釈。哲学、科学、その他の諸々をまぜあわせて二つをくっつけたい。
排中の原理についてである。論理学で絶対に正しいことをいうときは、排中の原理だ。まだ、日が浅いバスガイドの卵。右手に見えるのは東京タワーか、東京タワー以外のいずれかである、という。これが排中律だ。東京タワーと東京タワー以外のいずれかとは、ずばり、宇宙のなかのなにかです、といっている。自分が自分にふれちゃうことを自己言及といって、矛盾する。宇宙なかに自分もいるんだから、自己言及でだめっぽいが、排中律は例外的にOKだという。
次の話はレヴィナスのイリヤについてである。私は一人称、あなたで二人称、かれらは三人称。それらっていう人じゃないものも含めて無人称。どうやらこれがイリヤである。ここにはいない圧倒的多数の他人による圧迫感。主体的であろうと奮起するがそのざわきに負ける。入れ替えちゃえ、と位相転換試みるが失敗におわる。
最後にアンガージェマンについてである。アンガージェマンは抵当とか、拘束という意味である。サルトルの使用法が有名だ。私は徹底的に自由だという。性別どっちにしようか、人間が獣になるか。設計図なんてない。これが実存が本質に先立つ、というもの。すると、いろんなことを自由に選択できちゃうが、そうするおとで、世界に影響、拘束する。世界を拘束しちゃうとは同時に世界から縛られる。いわゆる責任である。
まとめ
存在の科学
異次元理論
無の点は真空エネルギー。これだと宇宙のエネルギーが多すぎる。よって、線、ひもではないかと超ひも理論。これだと宇宙は10か11次元あることになる。三次元と一次元の時間をくわえて四次元時空にすむわれわれ。残りの6次元が小さなひもにカラビヤウ多様体という形で巻き込まれている。もしも、プランク長さの三次元に6次元、高次元が含まれるという理論があったらどうか。もっといってしまえば、プランク長さの四次元時空に高次元が内蔵。これだと四次元時空は小さな四次元時空でできているというdフラクタル理論になる。まさしく、われわれは何かを意識し、なにかを行動し、選択する。意識していない、選択しなかった並行世界はどこにあるのか。この四次元時空の構成要素、プランク長さのカラビヤウ多様体の四次元時空がそれではないのか。選択ではなく、選択しなかったものが加速度的に増大。これが宇宙の膨張、ダークエネルギーになる。先日の考えだと、宇宙は定常状態でわれわれを収縮させているといったが、まさしく、選択しなかった膨大な平行世界がこの世界の構成要素として増え続け、圧迫し、量子の波動を収縮させて固体にしているのではないか。量子を意識によって収縮とは、意識しなかった、選択しなかった多世界の増大だった。つまり、コペンハーゲン解釈と多世界解釈の折衷案である。
クレイジートーク
今日はラッキーだ。落ちているお金をひろったのではない。仕事がどうやら早く終わりそうだ。あくまでも予測である。未定は確定だ。一寸先は闇、もしかしたら忍者がケーキ食ってるかもしれない。闇だから見えない。昨日とちがって暖かい日差しに包まれ、なんだかぽかぽか陽気で顔がみんなほころんでいる。そういうことで、ほころびながら額に汗して、殺伐な現場で仕事に精をだす。クレイジーはここで終わろう。
**哲風呂**
判断停止と否定弁証法についてである。右手を上げてみた。もしかしたら左手をあげていたかもしれない。左手にすればよかったと後悔する。選択しなかった世界がたくさんある。選択したなかったものによって今すんでいる世界の形があるのではないか。しかも、星型の図形の欠けている箇所のようにそれは無い以上にあるものだ。
哲学者フッサールの判断停止についてである。いろんなことを判断している。やまちゃんは人間だとか、バナナはフルーツだとか。ところが、これらの判断はいささか怪しい。間違っているかもしれないと疑ってみる。こうやって、テコでも動かない真理を探す。すると、判断をすべて停止しても、最後に残るものがあることに気がつく。たしかに、鏡で見える自分の姿も怪しいし、性格だってそうだ。最後の残余物、それが純粋な私、純粋自我だという。
次の話はアドルノの否定弁証法についてである。かってヘーゲルは肯定弁証法をやっていた。このバナナはこのバナナを否定するあらゆるもの、潜水艦、りんご、以下略。これらをさらに否定して、このバナナにもどってきて万事終了だ。否定の否定は肯定である。すると、もうバナナであることに満足して何もおきない。そうでなく、世の中は動いているし、活動している。否定の否定の否定は否定だという。
まとめ
存在の科学
異次元理論
二次元でも三次元でもよいが、時間を含んでいるこの世界、図形やオブジェがある。星型の図形は欠けているところがあるから形になっている。立体物でも、たとえば、木彫りの彫刻、削って、欠けをつくって形になる。欠けているところは時間の流れのない二次元、三次元では永遠にその形を成立させるものになる。さて、このわれわれがいる世界は時間の流れがあるので、四次元時空だ。ひょっとしたら左手あげていたかもという別の選択しなかった四次元時空、つまりは平行世界が欠けになって、この世界の形をつくる。そして、当然、その欠けである選択されなかった世界は永遠である。すべてを削って最後にのこる純粋自我、否定のきわみであらわれる営み、これらは永遠の欠けであり、無いことがある以上にあるようなものになっている。
クレイジートーク
南千住の現場で、超きつかった。頭痛がするほどだ。久々にこんな現場にきてしまった。走りどうしでぼ〜っとしている。軽くボケった。太陽が見えないということはもうかなり遅い時間なのだろう。こうしちゃいられない。これから家に帰るのだが、方位磁針と帰巣本能で自分んちを探すことにするので、クレイジー終わりだ。
**哲風呂**
統覚、最善世界観、そして、神の存在証明についてである。いいことしてしまった。倒れているアリを助けてしまう。だれかがきっと見ている。神様が見てくれているかもしれない。なにもない宇宙を存在させるために神様はすべてを見て、われわれは意味、価値を作るためにスーパーでニンジンを見る。
統覚についてである。私が私であるための本体みたいなものだ。自己意識でもある。デカルトは統覚がないと知覚、なにかを感じることもないという。おれはいるんだ、というのがって、はじめて見たり触ったり知覚がある。ところが、ライプニッツは統覚のない知覚もあるよ、という。植物がそうである。統覚は不必要な情報は省いてざっくりと認識する。やまちゃんのジーパンのしわのひとつひとつは無視する。ところが、統覚がないとすべて細かい知覚も取り込む。微小知覚である。
哲学者カントは経験的統覚と根源的統覚にわける。性格や見た目、経験できちゃう私が経験的統覚。ところが、もっと奥底には人類や世界の私、みんな共通の私がいる。これが根源的統覚であり、だからこそ、目の前の犬のふんをなにかの物体があると認識できる。客観的になにかがあるとは、みんな共通の私が見ているからだ。
次の話はライプニッツの最善世界観についてである。ひょっとしたら私が大リーガーだった世界があったかもしれない。無数の可能世界の中でもっとも最善なものを神様が選んだという。いわゆる楽観主義である。
最後に神の存在証明についてである。カントの分け方に習うのが多い。神様の目的論的証明とは、この世界はあまりに緻密でよくできている。きっと神様がつくったのであろう、というもの。二つ目が神様の本体論的証明。空き缶だって存在しているが、強烈なパワーで存在しているもの、存在そのものっていうのが神様だというもの。三つ目が神様の宇宙論的証明だ。こうやってここであぐらのような正座をしているのは、なにかの原因がある。プロレスラーに関節技をかけら手いるのが原因。なんでプロレスしているかといえば、また原因がある。こうやって、原因の原因をさかのぼるときっと宇宙が誕生するときに神様が一撃を加えたからだという。四つ目が神様の道徳論的証明だ。いいことしても幸せになれないなんておかしい。神様が見てくれないと困る、というカントの採用した考えである。
まとめ
存在の科学
異次元理論
意識体は選択する。意識したり、活動したり、認識するときは、選択するのだが、同時に選択しなかった並行世界を大量に生産する。これが宇宙を定常としたときに爆縮をうむ。宇宙膨張と解してもよい。この力が量子の波動を収縮し、粒子にする。すべての生命体の意識、これが量子の収縮になり、一なる物理宇宙、粒子性をつくる。いわば、根源的統覚の働きであり、これが神による波動の粒子化と等しいのではないか。さらに、個々の生命が粒子化された世界をさらに収縮させ、意味を生み出す。無から有を神が生じさせ、生命の意識はさらに意味をうむ。無は波動であり、有は粒子である。波動から粒子をうみ、さらに価値を作る。
クレイジートーク
現場は草加市。最近疲れがマックスに達し、やつれ気味。なんと、今日の現場は住民の苦情で現着中止になった。これで一息いれられる。さて、これから何をするのか。自問自答を繰り返す。折り紙でもやって一日を過ごそうか、はたまた、昼寝三昧も悪くない。ということで、本日はクレイジーを終えてバケーションである。
**哲風呂**
気分、根源的受容性、そして、唯物論についてである。宇宙とは人間、人間は宇宙ではないか。人間だけでなく、生きとし生けるもの、平面ガエルも立体ガエルも皆、宇宙ではないのか。だからこそ、尊いのだ。内なるこみ上げてくる感情、それが自分の宇宙に住まうものたちの営みである。
哲学者ハイデガーの気分についてである。西洋哲学は理屈っぽく、論理やロゴスが主人公だった。憤る感情、うれしさ、気分などは脇役のようなものだった。ところが、現代哲学ではハイデガーがこの感情や気分にスポットライトをあてたのだ。私と世界、宇宙ははっきりわけれていない。いわゆる、主観と客観の戦いなんかではない。世界の中でどっぷりつかっている。世界内存在だという。宇宙、世界の膨大な流れに押し出されて、私がうまれ、いまの私の状況がある。世界になげだされた、意志ではどうすることもできない、これが気分だという。
アンリの根源的受容性についてである。ふつうによっしゃっといいながら漬物石をもちあげるばあさん。自発的な意志である。自発的になんでもできるが、感情だけは全面的にもらったもの、与えられたものだ。というのも、感情は操作できない。もらったといっても、ふつうはプレゼントは自分の外側からいただく。自分の内側から全面的にもらうもの、究極の受身であり、根源的受容性、これが感情であり、力だという。
最後に唯物論についてである。マルクスである。デカルトは科学的な世界をつくった。科学者の目は宇宙の外にあって、そこから冷静に眺める。宇宙の外に身をおいてみる、科学的唯物論を俗流唯物論と名づけた。そして、本当の唯物論は人間をも含めた唯物論だという。
まとめ
存在の科学
異次元理論
私は定食Aを食べる。Bをたべた世界は多世界に分岐。選択しなかった世界がどんどん増えてくる。これはZPFの無の点や、超ひも理論のひもにカビラヤウ多様体として巻き込まれている。高次元、余剰次元が巻き込まれている。このひもや点が意識である。この一なる宇宙は神様が意識することで、波動は収縮し粒子になり、この宇宙の個的生命がさらに収縮し意味をうむ。同じように私の意識も宇宙だ。私は私を意識し、私自身の宇宙を収縮し、無の波動から有の粒子を作る。そして、私の宇宙のなかの個的生命がさらに収縮させて意味づけるのだが、これが私にはどうすることもできない、気分であり、感情となる。意識は宇宙で、宇宙は意識という唯物論である。
クレイジートーク
現場は雨天中止。髪を切りに久々に実家。世間話してきた。それにしても、おいらは髪の毛の量が多いらしい。ちょっときっただけで、軽く三人前のヘアーだ。しかも、真っ黒くろすけ。真っ黒白すけの意味はわかね〜っといわれてしまうが、赤毛のしろすけもまた理解しがたい大問題に発展しかねないので、クレイジーをここで終わる。
**哲風呂**
絶対精神とディルタイの解釈学的循環についてである。神とはなにか。神の子、十字架、復活、といろんな単語を並べてみる。すると、みんなが宇宙で、自分の中に自分がいるんだと気がついたとき、これらのキーワードがみるみるつながっていくことがわかる。
ヘーゲルの絶対精神についてである。カント哲学ではこえられなかった物自体。りんごのうわっつらの現象はわかるけど、種がいくつはいっているか、どこからきたのか、りんご自体、物自体がわからない。私と物自体を合体しちゃえ、という精神現象学である。
おれっているんだと気がつく。自己知という。私は私にきがつく、人間の自己知。それと宇宙さんが自分が宇宙だと気がつく、宇宙の自己知。この二つの自己知が重なるときがある。
赤くてすっぱい、という感覚。これらが集まり、りんごっていう知覚。さらに、りんごは私の外に物理的にあるじゃん、とイメージを投げつけるのが悟性。そして、りんごは俺のイメージを外になげつけた、おれがいるんだと自己意識。ものかげからこっちを診ている家政婦、おなじ自己意識があるだろうと、他人。主観と客観が合体して、ついには宇宙、世界の精神へとたどり着く。
次の話はディルタイの解釈学的循環についてである。久々に辞典を開く。人間って調べると、哺乳類でひとだという。人を調べると人間だという。ぐるぐると堂々巡り、循環だ。これを水平次元の解釈学的循環という。これにたいして、聳え立つ山を感じる、体験する。山の全体イメージ、すなわち表現。そして、山を理解。こんな理解のうえでまた山を体験。体験、表現、理解、の堂々巡りなのだが、これは常に新鮮な新しいものが湯水のごとくあふれでるという。
まとめ
存在の科学
異次元理論
右手をあげたが、左手をあげた私の世界は選択されなかった。別平行世界として分岐した。どこにいったかというと、高次元、余剰次元として、無の点であるZPFか、はたまた、超ひも理論のひもにコンパクトに収納される。ひもやZPFこそ生命の意識だといった。だから、選択されなかった世界、宇宙が他者の意識だ。そして、この宇宙はだれかの意識である。宇宙さんは自分を意識し、この宇宙の無、波動を収縮させて有、粒子を作り出す。そして、この宇宙にいる生命のあらゆる意識が有をさらに収縮させて意味、価値をつくる。これがこの宇宙さんにとっての感情となる。この宇宙さんはこの宇宙のなかに姿を現す。イエス様である。父なる神の子、イエスである。三位一体もここに証明される。十字架による原罪、宇宙さんの自己責任であり、永遠の魂と復活は宇宙さんの自己意識の完成だ。私もあなたも宇宙であり、自己意識により、おのが宇宙を収縮させ、おのが宇宙のなかにおのれを招来させる。
クレイジートーク
現場は西新橋。東京の中心にいる。ここから川崎のほうへ走るらしい。道がよくわからなくてあわてふためき、ちょっとライトな気分でムンクの叫び風な笑みを浮かべる。スマイル、スマイル、という掛け声で朝、走っている柔道部。ファイトっていう掛け声ではななかった。
**哲風呂**
真理整合説、そして、パトナムの私と世界の共同戦線についてである。ある種の栄養が足りていない。そんなとき、ビタミンCが空中を浮遊していてたまたま口から吸い込む。必要なもの、不足しているものは近づいてくる。実際に手を動かしてレモンをかじるのではなく、心の栄養もまた時空を超えて与えられ、与える。意識、心と行動のちがいについてである。
真理整合説についてである。心の内側に外の宇宙にあるあらゆるものの配列をきちんと思い描く。これが真理対応説、模写説である。ところが、心と宇宙なんていうのははっきりした仕切りがない。全部まぜてしまって、全体として矛盾しないように帳尻あわせ、だというのが真理整合説だ。
次の話はパトナムの私と世界の共同戦線についてである。パトナムは当初、心のなかにいかに世界をイメージできるかが真理探究だとおもっていた。心のなかはイメージだから、内在的観念論。外の世界はまったくもって実在してるから、外在的実在論。ところが、心と世界、宇宙の仕切りを取り外す。弁当の仕切りをとったら混ぜご飯、おかずとごはんが混ざるではないか。私も世界もみんな内側でしかも実在だ。すると、私と世界は共同戦線で私と世界を互いに作っているということになる。
まとめ
存在の科学
異次元理論
遠隔実験が行われた。緊張するタイプの被験者と、緊張することが少ない被験者にわける。緊張タイプに遠隔でリラックスしなさい、という念を送る。すると、被験者の皮膚の電気信号、うそ発見器の記録から緊張が大きく和らぐという。しかも、緊張しないタイプに念を送ってもそれほど成果がないという。つまり、不足しているもの、欲しているものは時空を超えて影響を受けやすいのである。
意識とは超ひもやZPFの点だといった。点やひもにコンパクトに高次元、余剰次元がカラビヤウ空間として織り込まれているのだ。すると、自分のなかには五次元、しかも、そこには四次元時空、平行時空が無数にある。自己意識によって、おのが並行宇宙のどれかを収縮させる。並行宇宙はこの宇宙の過去や未来の世界もある。時空、次元を超えて影響を与えるのである。そもそも、意識活動が脳などの神経系の電気パルスならば、電子や光の波動が三次元ブレーンを移動する現象。この意識、観念がブレーンからはみ出して、別の四次元時空にいけば、重力になる。存在に影響しているのである。不足しているもの、穴があればそれはいずれうまる。時空を超えて、意識活動はそんな不足の補いあう関係によって営まれる。ちなみに、意識のなかの五次元、そのなかのこの自分がいる宇宙にアクセスし、収縮させるとなにがおこるか。これは実際に目の前にあるものを動かしたりする行動、接触することでの力学的伝達、局在的な働きになるのだ。意識は非局在的に壮大な影響力を与えているのだ。
クレイジートーク
土曜日で仕事の予定が雨で中止。いままさに春巻きをほおばった直後だ。ひとにはいえない恥ずかしいことかもしれないが、春巻き好きなのである。しかも、皮が硬い、ぱりぱりした武道家のような春巻きもいいが、ふにゃふにゃしているやるきなさそうな春巻きも好きだ。春巻きに国境も、肌色もないということを豪語したところで、クレイジーは終了だ。
【日刊 仙人新聞の最新記事】





