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2008年10月09日

仙人養成講座 哲風呂 二元論、半透明、そして、存在の穴とくぼみへ

二元論、半透明、そして、存在の穴とくぼみについてである。和洋折衷で攻めてみる。和服を着てブレイクダンス。しゃがむわけでもなく、座るわけでもない、中腰の和洋折衷式便器。ちゅうとはんぱな美学。真ん中がやっぱりいいな、オール3。すけすけのぱんつは鋼鉄のパンツでも、スケルトンパンツでもない。生命とはきわめて奇跡的な中途半端な構造ではないだろうか。ずぼんのような上着のような、じゃんじゃごれはと店員に聞きたくなる。靴下のような帽子。ニッキ帽子なのか足袋なのか。おっぱいのようなお尻、2度おいしい一挙両得。中間的なものに生命の秘密があり、これをかの有名な相対性理論から考えてみたい。

  二元論というお話からである。世の中は二つの世界から出来ているピース。カメラにむかってピースしたその瞬間、二本の指につがいのとんぼ止まる。なんていう偶然。驚きのあまり開いた口がふさがらない。ふさがらないならふたするしかない。世の中は水戸黄門のような善人と、ボランティアって何のことか知らない、悪代官のようなひとに大別。要するに、善と悪があるという二元論。古代ギリシャのプラトンもまた二元論。世界をイデア界と現象界にわけちゃう。われわれがみているのは現象にすぎない。久々に弁当でもくってみるか、と仙人がつぶやく。白いひげがアイスクリームそっくりでありがたかったこともある。不覚にもありは甘いものとも間違えたのだ。弁当を食うときは三種の神器である割り箸をつかう。割り箸といっても、この割り箸は世界で一個しかない。一部亀裂がはいり、なぜだか、箸先には海苔がついている。われわれが認識できるのは具体的なこの割り箸、という現象。純粋な割り箸そのものはイデアの世界にある。そして、割り箸のイデアの影がここにあるこの割り箸だというのだ。

  中世ではもっぱら信仰と理性の二元論だ。ひたすら理屈ぬきで信じちゃう信仰。理路整然と頭で考える理性。いきなり、最大ワープでもして、近世にいってみる。すると、哲学者デカルトが大活躍。デカルトの二元論ほど名物はない。世界、宇宙は二つに世界でできている。精神と物質だという。心のなかできゅうりにふんだんに味噌をつけて食っているシーンを想像。あくまで心の営みだ。じっさいは味噌の量がすくなくて大失敗と思いつつ、妥協して食ってしまう。精神は精神にしか影響与えないし、物質は物質だけうごかす。はっきりと区別したが、大問題が発生。私のおっぱいはいわゆる肉体と名づけられている。おっぱいとても物体である。おっぱいにクルミはさんで割る。くるみ割りおっぱいだが、くるみ割り人形が悔しそうな顔で物陰からみつめていた。おっぱいという物体がくるみという物体を変化させた。ところが、私の精神,心はいくそおっぱいを上下に動かすんだと命令。すると、おっぱいがぴくぴくと動く。心が肉体に影響あたえている。また、乳首を洗濯バサミにかみつかれたら痛いっと叫ぶし、心に痛みが伝わる。っていうことで、どうやら精神と肉体はどっかでつながっている。そこで脳の一部で接続されていると主張したのだ。


  あの偉大なカントだって二元論だといえる。笑顔でピースなのだ。私はモノの一面しかみていないと、エロビデオ鑑賞中に嘆く。その嘆きがいまでも聞こえるとさ、なんて結論しちゃうのが昔話。たしかにケツをみていると顔はなかなみれない。男優それ自体は認識できない。物自体は認識できないけど、現象はちゃんとみえちゃう。男優のあたまの地肌はみえない、みえないところだらけで自己嫌悪に陥り、お菓子をどかぐい。現象と物自体の二元論だ。

  現代においてはやっぱりベルクソン。ふつうに素の顔つきで考えてもらいたい。歯茎むきだし、目が血走った状態が平常モードというならそれでもかまわない。カップルから互いにいえをみあげ、天井のシミをみながら語らう。天井のうらには忍者が何人ひそんでいるかわからない。想像の域をでないのだ。床の下にはなにがあるのか、秘密の小部屋か、相撲部屋があるかもしれぬ。たしかに、床面、天井面という物質はみえているが、じつに、見えないところは想像、イメージで補填だ。要するに、われわれは物質とイメージの中間、これらをごちゃまぜにしたものを見ている。これをイマージュというのだ。われわれは体育館裏でイマージュにかこまれている。不良のパンツの色はイメージだし、ガクランのカラーをきっちりしめて一人スリーパーホールド気味で軽く睡魔におそわれている祖の顔は実在だ。

  つぎに、哲学者サルトルの半透明という概念についてである。透けて見える浴室のすりガラス。なんともアダルトな描写に聞こえるが、すけてみえるのがタコとイカ。一体浴室でなにをしているのか。漁船にあげられたとき、かんぱんをはって逃げる練習だ。不透明といえばおはぎ。おはぎを目に装着すると、なにもみえなくなる。透明といったら、ガラスである。半透明はうっすらみえる。ここでDIYの講習をやるつもりは一切ない。日曜宮大工も聞いたことがない。私は私自身のことをよく知っているのか。たしかに、はいているパンツの色は退行催眠してもらえばよみがえる。自分の好きなもの、きらいなもの、だってしっている。ただ、ビンゴゲームに集中しているときは、われをわすれて、鼻毛がはみでているのも忘れている。これを定立的意識という。ところが、テレビゲームに夢中でも、テレビのエキサイティングな囲碁中継に夢中でも、目の片すみには、うっすら自分の太ももがみえている。私はなんとなく私自身を意識している。これが非定立的意識だ。だから、私は私自身をだますことができるという。なんとなく見えそうで見えないところから、自分自身をだます。これが自己欺瞞だ。

  最後に、サルトルのいう存在の穴、メルロポンティのいう存在のくぼみについて一言。サルトルいわく、意識とは無を分泌しちゃうという。危ない車がやってくる。まずは気球に乗りこんで世界一周しないと危ない。危ない、といい、気球にのってどこまでも。くるまが迫ってきたとき、私はくるまじゃないと、心のなかで叫ぶ。気球をみたときも、おれは気球なんかじゃない、と否定。なんとかでない、という否定。この無いというのが無の分泌だ。私は私自身を意識する。いままさに意識している私は、目の前の無骨な格好で決め台詞をいっているみられている私ではない。私は私自身のなかに無を分泌して、分裂をおこす。これにたいして、くるまは自分自身と一致。ただの存在であり、即自存在となづける。人間の意識とはただの存在に虫食い穴をつくるもの。この存在の穴こそ意識だというのだ。障子に穴をあけるときはたしかにある。ところが、世界の存在に一挙に穴あけちゃう。


  ところが、哲学者メルロポンティはちがう。存在に穴をあけることなんて無理。とことん、宇宙は肉という存在。意識とはそこによったしわのようなもの。しわくしゃのおばあさんが振り向いてがんとばしているので、もっと、上品ないいかたをすると、いわゆる盆地、練馬盆地だ。肉という存在のこぼんだところが意識だという。だから、徹底的に意識ですら肉によって作られている。



  まとめ

  存在の科学  未来人脱出計画  相対性理論と宇宙の3元論

  まずは、アインシュタインの一般相対性理論について考えたい。重力ってなんなのか、と考えながらスカイダイビング。相対性理論だと時空のゆがみだという。空間の縦横高さの三次元に時間という次元がくっついて四次元時空だ。どうにも、扱いにくいので、この時空をかみっぺら、面と考える。時空面に漬物石をおいたばあさん。時空面はゆがみ、その周囲の物体はそのくぼみに落ちこむ。このとき、最短距離、最短の時間で落ちこむために測地線をとおるという。光はどうか。光は相対性理論では重力に吸いこまれても、重力から逃げ出すときも、速度はかわらないはず。時空面を同じ速度で移動するのが光粒子フォトンであり、電子である。

  それでは鉛の漬物石をおいてみる。すると、すご〜くくぼみ、ついには破れる。時空面の穴がブラックホールではないだろうか。そこに吸いこまれた光は時空面を飛び出す。だから、時間も空間もないようなむちゃくちゃな世界がそこにはある。以前にお話したが、この時空面がブレーンであり、お隣にもちょっとちがった時空面が並んでいる。ブラックホールの穴から飛び出した光粒子フォトンはお隣の時空面に衝突。このときもはや光粒子、フォトンとはよばない。重力粒子、グラビトンと名前を改める。お隣の時空面がくぼんだ瞬間、そこに物体が発生する。くぼんでいるから質量発生し、物体が出現するのだ。そして、ブラックホールから電子やらフォトンをすいこみっぱなしだと、この時空面の光と電子の量が激減する。お隣の時空面も同じことが起きる。ところが、お隣時空面のくぼみからグラビトンが面に平行に進入し、それが電子、光になる。ここでこのくぼんだ時空面は半分破れている。ようするに、透明でもあり、不透明でもある。穴でもあり、穴でもない。こんな一部のグラビトンを通過させる半透明のろ過紙、これが生命なのだ。生命は以前お話したが、光を吸収して、認識する。だから、ブラックホールっぽい。それでいて、自ら光放ち、電子を出現させているのだ。宇宙のなかで光を生み出すものでもある。

  生命意識がこのろ過のようなくぼみだとしたら、さらにグラビトンの一部はこれを通過しさらにお隣の時空面に衝突。この時空面をくぼませるだけ。ここにただの無機的な物体を生じさせる。つまり、この世界に生命意識があるということは、ブラックホールの時空面とただくぼんで無機的物体を出現させている時空面とセットなのだ。ブラックホールの時空面とただのくぼみの物体の時空面にサンドされているろ過するくぼみの時空面だ。だから、意識体があるということは、同時に並行時空面にブラックホールと無機的物体を相伴っている。この世界にある無機的物体もおなじこと。そこに石があるとは、お隣の時空面に生命が、さらにはその上にブラックホールがある。このブラックホールが共通意識である統覚、ろ過するくぼみが生命の意識及び有機的な肉体。そして、ただのくぼみが物体だ。ここに宇宙の3元論が成り立つ。


 

posted by モノイイ ジョーカー at 18:16| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 仙人養成講座 日刊コラム 哲風呂 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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