紙コップといったらマラソン選手にプレゼント。お返しに耳に挟んでるだけで、モテモテ、ギャンブルでがっぽりっといういかがわしい洗濯バサミをもらう。紙コップといっても、病院の待合室に意味深に置いてある紙コップは危険である。ティッシュがかぶせてあったらなおさら危険度は増す。レベル5である。検尿検査でトイレに引きこもる。トイレに一人ぼっちとは久しぶりである。トイレの中で一人ぼっちでも平気なのっというのは、アタッコNO.6である。トイレへとぶらりブラブラ一人旅である。さびしくてしょうがない。トイレのなかで愛を叫ぶ。そして、そこでおもむろに社会の窓からお尻出す。紙コップにおならして、ティッシュで封印。そんな現場を万引きGメンが取り押さえる。押さえ込み30日間。じっくり寝かせて出来上がったのはこちらっと料理の先生が机の上の引き出しから出す。おそらく、タイムマシン。料理の先生はたいていおばさん。手がクローズアップされる。手のしわが目立つ。隣のアシスタントは若い女性。手をみただけで判別できる。天才だっと自分のそんな能力に酔いしれる若者。
紙コップ持参で10円引き。10円引きを馬鹿にしてはいけない。紙コップも馬鹿にすると痛い目にあう。紙コップとは全身銀色のロボットデカ。ヘルメットを取るとはげている。そのギャップにおもわず、はじめてみたものは口があく。紙コップにこんぶをまきつけて工作をするノッポンさん。やっぱりトイレにてこそこそと工作してる。秘密工作である。出来上がったものが、いかにも、こどもたちが飛んで喜ぶ代物。もちろん、羽の生えた子供たちに限る。昆布巻きにわかめが絡まったかわいらしいキャラクターである。子供たちは絶句。トラウマがこんなところにできたっとお尻見せて自慢する子供。ケツが青い。赤ボールペンでお尻塗ってやる。そんな慈悲深いゾウリムシがいたら、おもわず、抱いちゃう。ゾウリムシつぶれる。隣にはたまたま、金色のうんちがでるくらいレアなことだったが、つぶれたハエがいる。おれもあいつにつぶされたっと一言。そうやって口コミで広まり、いつしか、つぶされちゃった被害者原告団を結成。
さて、紙コップを持って自販機はまだ少ない。それでもこれが当たり前の世の中がやってくるかもしれない。当たり前で、大前提になるもの。これを哲学では原理と名づける。
原理といったら、すべてのもとになるもの。おでんでいったらダシである。このじいさんはどんな原理で動いてるの、っと疑問投げかける。ミトコンドリアがエネルギー食ってる、というには生物学的な見解。大前提となること。とりわけ、哲学、数学では一番最初に置かれる大前提である。まず、マラソンランナーははじめにスタート地点に立つ。つぎに、審判員の機関銃とともに、走りだす。また、スタート地点でなく、全然、関係のないばあさんのおっぱいの谷間からスタートするものはいない。そもそも、そんな谷間にフィットすることは難儀である。フィットしたいっと大声で叫んでも、山ビコとなって、フィットしない、っと返ってくる。ギリシャ語ではアルケーっという。歩けっと命令してるのではない。歩けゴマっと謎の呪文。公園のハトが歩き出す。手品である。こどもがハトを追いかける。そのうち、子供の目つきが血走ってくる。ベンチの上で癒され中の浮浪者を追いかける子供。逃げる浮浪者。人間、窮地に追いやられると、潜在能力発揮する。空を飛ぶ、たんぼと出あい、ピーターパンとすれ違う。見てみぬフリのピーターパン。フランスパンも飛んでいる。
原理のことをギリシャ語でアルケー。かって、イオニアの自然哲学者たちは、身の回りにある自然にアルケー、原理があると考えた。コタツの中からモーっという牛の鳴き声。中を覗くと大自然広がってる。心打たれる。感動の涙あふれて、そば屋の店先の風車まわしちゃう。これが電気エネルギーとなって、鉄人が動き出す。必殺技はしゃがむこと。必殺技は舌唇をつきだすこと。自然の中に原理ある。身近なものである。よく、自分の肩の上にとまってるめがねザルか、はたまた、バケツの中のまっこうくじらか。リアス式海岸に背中こすりつけ、かゆみとる。一家に一台、リアス式海岸である。そこらに原理が転がってる。だるまさん転がってるよ、っと遊ぶ高校生。高校生にしてはおさない。高校生ならば、たかおにである。実際に目でみたり、手でつかめちゃうようなものが原理。哲学者タレスは水が原理であり、アルケーだと考えた。水洗便所で頭の上から落ちてくる水である。水の勢い強すぎて、まるで修行。悟っちゃう。すべては水によってできてるという。エウクレイデスなどの数学者は、公理論的に考える。公理とは大前提となることである。おじいさんが本を買う。結婚相談所のはがきがついてくる。田舎住まいの方と交際望みますか、神社仏閣仏像、などなど、仏像マニアですか、などのアンケートかかれてる。ところが、パンツはいてる人との結婚のぞんじゃいますか、っと書かれていたりする。当たり前である。書かなくても良いくらい大前提である。数学の公理とはすべてに共通してあてはまっちゃう概念である。このほか、定義、公準、なども原理として立てる。数学では原理を当たり前すぎてあくびでちゃう、というもの。つまり、自明なもの。あくびしたら、小型宇宙船が体内に進入。あくびしたら、いきなり、警察に連行。どうも、納得いかないので、3年に一回しか、身内にだけ公開するお尻のカタマリ、っというポーズをしてやる。また、自明ではないが、仮説として原理を立てる場合もある。仮に山田くんを人間と仮定する、などである。本当は疑えば、アメーバのように見えなくもナイ。なすときゅうりしか食わないなら、鈴虫かもしれない。蝶のように舞い、蜂のように刺し、鈴虫のように鳴き、蛍のように光る。とりあえず、山田君は人間だと仮説をたてるのである。
哲学者アリストテレスは原理を立てた。まず、存在してるもの、空き缶、紙コップ、入れ歯などなど、存在者は無数にある。この存在者の存在そのものの原理を考える。空き缶という存在者はどんな作りをして、正しい使い方はどんなものかと説明書をよむのとは分けが違う。空き缶の存在そのものである。これを存在論的原理という。存在論的原理とは神さまだという。また、人間はじろじろと風呂上がりの素っ裸のおやじを見る。恥ずかしがって、壁と同化。保護色だったことが判明し、市の職員を呼んで捕獲。研究所にて研究。研究所もあきたから、リサイクルショップに売りとばす。じろじろっと認識する。くんくんっと匂う。いろんなモノを認識して生活してる。家族だんらん、便所のらくがき見ながらイタメシを食う。そもそも、認識するための大前提、原理とはなにか。認識論的原理というが、論理学の原理をあげている。理屈っぽい、論理学上のものである。一本すじとおってるのが論理学。一本溝通ってるのがケツである。まず、同一律である。さとちゃんはさとちゃんである。当たり前でやっぱり眠くなる。髪の毛だけが寝ている。髪がねてるというが、いびきかいて寝ちゃう。つぎに矛盾律である。さとちゃんはさとちゃん以外のものではない。これまた、当たり前。3割4割引きは当たり前。9割引きは異常だよっというCM。それと配中律である。ころちゃんは猫であるか、猫ではないかとどっちかである。かならず、どっちかのグループ、軍団に所属しないといけない。
哲学者デカルトである。あらゆるものを疑ってみる。目の前の祖父をみつめ、もしかしたら、たんぽぽの綿毛ではないかと口でふーっと吹いてみる。あらゆるものが疑わしい。ところが、疑ってる自分の存在だけは疑えない。もし、自分がいないのではと疑ったら、疑うことすらできなくなっちゃう。これを我思う故に我在りっと表現。自分の存在を原理としたのである。
次にライプニッツである。デカルトの私っという存在。これすらも、原理の一つと考えて、いろんな原理を考えた人である。原理の哲学者という異名を持つ。南海の白クマっという異名を持つプロレスラー。どこかおかしい。クロスワードパズルやってる手の動きをとめて思わず、考えちゃう。ハエも手をこするのをやめて、考え込む。まず、連続の原理である。すべては連続してる、というもの。不可識別者同一の原理といわれるものもある。同じものは世の中に二つとないという。そっくりな形をしたほくろ。双子のほくろだろうか。それでもどこか違うのである。
論理実証主義では、すべてが感覚的なデータだという考えがある。目の前にあきらかにカニがいる。口からあわふいてる。反復横飛びの世界チャンピオンであると自我自賛してる。哲学者マッハは、無駄なことを考えたらエネルギーの無駄と考え、思惟経済をとなえる。最小限の力で最大限の結果をうもうとする。よって、ありのままをうけいれる。赤くて、固いっという性質のカタマリが自分の前に存在するという。カニが存在するとは思いこまない。ところが、こんなことしていたら、きわめて能率悪い。夕飯時に野球みていてもつまらない。白くて丸い、肌色で長細いなどなどの性質の集まり。ここで、プロトコル文が考えられる。自分のそとに、何時何分何秒、どこの位置に存在する、という時空をはっきりあらわすもの。自分のそとの物体、カタマリの存在みとめるのである。パンツの中のうんこ、認めたくなくとも、勇気をだして、何時何分、何丁目にうんこあるかを認めるのである。これも原理のようんなもの。大前提として、モノの時空間の存在、とりあえず、仮定しようというもの。
こんな原理を否定するものもいる。哲学者プラトンは弁証法、ディアレクティケーと名づける。対話によって、絶対的なものを求める姿勢。真理とは手のひらにのるようなカタマリではないのである。ヘーゲルは、原理をカタマリと考えない。矛盾しあうものがくっついて新しいものができる。こうやって、世界、宇宙は進化、発展するという。矛盾とは手でつかめるようなものではない。
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