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2006年05月30日
仙人養成講座 哲学列伝ゼータ ヤスパース
かって、哲学者ハイデガ―は人間を現存在と名づけた。ただ、ぼーっと存在してるのではない。カレーライスの具に何そこでぼーっとしてるんだっといきどおってる親方。にんじん、じゃがいもはただ存在してるだけである。じゃがいもはじゃがいも以上、以下でもない。160センチ以上180センチ以下ならば、駄菓子屋の入店が許可されたりする。自分がすきまなく自分と一体。コバエが入りこむ余地なし。アナログ時計の中にコバエ発見。ぎこちなく2足歩行するロボットが発見してくれた。そんなすきまはないのである。ところが、人間は、ものの存在そのものとは何かっと問いかけることが出来る。問いかけるとは、実はなんとなく、答えを了解してるのである。まったく知らないならば、問うことすらできない。口がなければ、チョコレートパフェの味に出あわなかっただろう。よーく知っているならば問う必要はない。自分ちで親にトイレの場所をたずねる。なんとなく知ってるから問いかけられるのである。そして、存在そのものを問いかけるとは、存在そのものにかかわっちゃってる。ちょっかいだしてるのである。鍋にちょっかいだす。鍋はストレスもマックスに達して、グルっと回転。地味な反抗である。反抗期に、おやに反抗。肩叩いてやると言って、くつべらで叩いてやる。後ろでほくそえんでる。身の回りにはいろんな存在者。部長のポケットにはたいていビー玉やめんこ入ってる。ゴルフボールの存在そのものについて考えていたら、グリーンのアナに頭を何回つっこむかっという競技に参加できない。存在そのものを考えるにあたって、一番身近なもの。足の指の間にはさまってる大工道具。もっと身近なもの。だんだんジョーズの背びれが自分に近づいてくる。大音量とともに、とうとう背びれがニュウリンにふれる。予想していた最悪の事態である。最終的には自分の存在そのものに行きつく。自分が自分の存在そのものにかかわってる。かかわってる自分とかかわれちゃってる自分に分裂である。これを現存在というのである。
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