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2005年09月22日

仙人養成講座 哲風呂 ハエから格率へ

2008年の夏季五輪開催地は北京市。公共トイレを美化しようという新たな計画があるという。

 北京市西城区の環境担当職員400人に対して命令として発令されたという。トイレの中にハエ2匹、ゴミ2つまでしか認めない、というもの。

  「史上最大のトイレ革命」を発表したという。

 トイレにハエがたった二匹しかいない。もうトイレで一人ぼっちになる可能性が高い。個室のさびしさをまぎわらしてくれたあの懐かしいハエたちは今。落ち込んでいるときは、ぶんぶん回って、白鳥の湖もどきを披露し、肩を叩かれ励まされ、笑顔でヒザ小僧にたかっている。おんぶしてるハエ。二人場檻が丸見えでもそれでいい。なごんだ雰囲気を作ろうと、癒しの空間にしようとハエたちはがんばってる。手と手を合わせて合掌。腰も低い。

 同じ個室の中にいい歳したハエが二匹。間違いがあってもいたしかたない。コドモができて増え始める。この間までこんなに小さかったハエがもうこんなに立派になっちゃって、ということもある。小指の爪くらいだったのが、もう親指の爪くらいの大きさ。ちょっと大きくなりすぎた。おそらく、放射能を軽くあびてしまったのだろう。

 便器に座っていると、目の前の壁にハエがたかる。強い腕力、脚力で壁にしがみつき、ロッククライマーのようである。汗をかきながらも、断崖絶壁のトイレの壁をよじ登り、ファイト一発で蛍光灯にたどり着く。ハエと目と目が合う。相変わらず手をこすってなにやら、いぶかしげな目つき。前世を占っているのか、それとも、眼をとばしてウンコ座りしているかは、その道のエキスパートに訳してもらうしかない。もしかしたら、自分に恋をしているのか、心なしウィンクしているようにも見える。

 ユーラシア大陸のような巨大なうんこにたかって、みんなガッピーしている。一番絞りの出てきてまだ、まもないぶらさがってるうんこ。欲望をおさえきれず、便器に着地する前の出来立てに止まっているハエ。しがみついたまま、そのままいっしょに便器に落下。下敷きとなってしまう。ムーンーサルト二回転ひねりサビ入りで着地。滑空飛行するハエ。能あるはえは爪をかくし、ためし、ハエの耳に念仏。ハエに真珠をわたし、おだてると、ハエが木にのぼった。ハエも木から落ちて、直後に棒にあたる。舌きりバエのお話はきいたことがなく、ハエの恩返しも聞いたためしがない。 

   三十年間、ホクロと思っていたものが、いきなり飛び立ってしまう。ハエだったのである。朝、中々、布団の中のヌクモリからでられず、起きられない。一匹のハエに起こされることもある。まだ、人生の経験の浅い小バエ。あろうことか、危険をおかして鼻の穴に侵入。それでも起きないが、さすがに、耳の穴から出てきたら、つながっているんじゃないか、という不安感で思わず目を覚ます。ハエに強烈な勢いで頭づきされて目覚める。布団をはいでしまうハエ。ハエにカンチョウされる、などなど、ハエの嫌がらせは収まらない。市民なんでも相談室に電話しても、受け合ってくれない。おそらく、ハエとどこかでつながっているのだろう。

  二匹以上のハエを認めない。自分が自分に対して、命じ、それに則って振舞う。二本足であるかないとだめである、とか、足をくじいたら減点10であるなど、自分が決めた行為の原則。これを格率という。この格率に則ってふるまい、行為する。盆踊りをたのしく不敵な笑みをうかべながらするときも、ハエ一匹ふみつぶしてはいけない、という個人的な格率を作る。

 ところが、哲学者カントはこの自分にだけ成り立つ格率を主観的格率と呼び、道徳律に則って行為せよ、という。これは、善をなし、悪を遠ざけろということである。蚊取り線香を頭の上に載せても、悪の手下、チョッカーたちや、悪代官の群れは退治できない。

 道徳律という格率は、自然科学の法則、たとえば、おっぱいにヨードチンキをぬると、くすぐったいなどの事実とは異なる。また、法律などのように、外から強制されるものでもない。首に紐をつけられて、強制的に脱糞をさせまいとする飼い主。ドレイモン助けて、という目で自分に訴えてくる一匹の犬。

 道徳律は、自分の内面の問題であり、自分自身でその義務をうけいれないとダメである。
 ストア派の道徳率は、自然に則って生きること。ボブスレーに乗って生きることではなく、スーパー内の移動ももっぱらボブスレーではない。

 快楽主義者たちは、自分の幸福と世間の幸福の両方を考えながら行為すること。自分だけよければいい、という考えで、スイカの皮まで食べちゃう。コオロギのことを微塵も考えていないのである。

 カントの考える道徳律は自分の確率が、普遍的立法、道徳律に合致するように行為しろ、という。自分がやってることをもし、世界中のみんながやってしまったら、どうなってしまうかを考えながら自分の格率をつくりなさい、という。もし、みんなが手をあてないで同時にクシャミしたら、地球の軌道がずれてしまってたいへんであるとか、手をあてないで品のないオナラをしたら、世間はパニック状態、金魚も呼吸のために水面の上に顔を出すこともなくなってしまうのである。
 

 
 
 
 
 
posted by モノイイ ジョーカー at 21:18| 東京 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | 仙人養成講座 日刊コラム 哲風呂 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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