お湯に入れて数分待つとすぐにできる。タコは風呂に入って、数分でゆでダコ。自分から好き好んで入るかは知らないが、生卵、やっぱりゆで卵になる。肩まで入って体の芯からあたためないと風をひく。おそらく、たまごのお母さんの発言。ニワトリじゃなくて、やっぱりたまご。肩まで入るといっても、どこが肩だかわからない。とりあえず、その場しのぎでここが肩だと自分できめつける。ウェストに肉がつき、ジーパンのところからもっこりはみ出している。お尻だと言い張る。鼻の穴が大きすぎる。そんなとき、ほくろだと言い切る。後ろめたさを出しては、相手に信用してもらえない。力強く自己主張する。人前でおならしても、大腸菌がへをこいたっと立派にキゼンとした態度で主張。つまり、誰にでも起こりうる自然現象だと熱弁ふるう。
ウラドラマンを三分間、オーブンでチンする。人間に戻ってるか楽しみである。料理は楽しい。火をあびせるだけで、ポップコーンができあがる。さすがに、人類が火を使った当初はそんな便利な商品はなかった。縄文人がプレートの上でお好み焼き食っていたという文献は残っていない。少なくと、お好み焼き屋の玄関には靴が散乱。山田くんの靴が斉藤くんの靴の上に覆いかぶさりスリーカウント。坊さん現われて、オリンでチンチンチンっと鳴らす。ゴングの簡易バージョンである。靴が重なり合って性交渉。変えるころにはかわいい子供靴が誕生していたりする。
火をあぶって横に振る。すると、豆がはじけてあっという間にみるみるうちに膨れ上がりポップコーンの完成である。いきなり膨れ上がりアフロヘアーになったら、恐怖のあまり、チューバッハのようなウェーっという鳴き声。力士のお尻になって、客席に飛び込んでいったら、驚きのあまり、ドテチンコのような鳴き声。
カンタンにできる、すぐにできるっという売り文句のコンドーム。自己責任で使うしかない。カップラーメンはお湯をかけてしばし待つこと、完成である。反応が遅いじいさんのアタマにお湯をかけることしばし、編み物でもやって時間つぶしてると、アチーっという声が聞こえるということは、ビデオデッキの使用マニュアルには書かれていない。頭の上にかやくを載せ、粉末をかけ、お湯注いでも、ラーメンはできない。ただし、ブリーチの液を混ぜるときの目つきはどうしても、マッドサイエンティストになってしまいがち。
お茶漬けをつくる。具は断崖絶壁をよじ登って神秘の薬草を入手。入手困難な章句材をふんだんに入れて作る。そんな苦労の末にできた一品、一匹のハエが茶碗の中に舞い降りる。許せない気持ちである。カンタン、例倉庫の残り物で出来ちゃう豪華料理。そんなうたい文句で始まる料理番組。ご家庭の冷蔵庫をあけて、いきなり前の日の夕飯の残りである北京ダック。納豆のおまけについてきたカラシを塗ってあっというまに豪華な一品。そんな番組、三十時間クッキングをみてしまい時間返してくれ、っとつぶやく。ノビータくん、絶対に悪いことに使っちゃいけないよ、っとドレイモン登場。まず、自分がノビータくんではないという現実は受け入れない。コレ幸いとドレイモンの説明に聞き入る。この赤いボタンを押して、ポーンっと一声、次にズボン下ろす、それから、交番の前で青いボタン押せばいいんだ、そうすれば、きっとタイホされる、っと説明完了。その長ネギにボタンがくっついたような未来の道具を早速、ドレイモンのシッポのツケネに押し込む。また、悪いことに使ってるな、っとたしなめられる。
なにが善いことで、なにが悪いことか。哲学者カントは善意志について考える。いろんな善いことがある。横断歩道で年寄りと手をつないで渡ってあげる。みるものをほのぼのさせる光景である。年寄りと手をつないでコザックダンス。息をきらせる老人。レディーファーストっというものも悪くはない。ドアを開けて、女性を先に通す。その間隙をぬっておじさんが入ってきたら、ドアで挟んでしまう。おじさんゲットである。ボーナス点獲得で次のステージ。ポイントアップである。主婦は商店街のお買い物券を集める。小冊子、5冊分あつめて、商品と交換すると思いきや、いきなりお買い物券食べちゃう。予想だにしない展開である。書道の先生、眉毛はやっぱり濃い目であるが、半紙になにやら難しい漢字を書く。半紙からはみ出して、床にそしてあろうことか、自分の背中にまで1本の線を延ばして書き込んでいく。常軌を逸しているのか、筆をヌンチャクのように振り回し、歩行中の男性のお尻に、丸であらず、っと書き、ハゲおやじの頭に、髪、っという一文字を達筆に書く。いつか、警察に補導される。
なにかのためによいことをする。肩たたきすると、おじさんのマタの間から缶ジュースが現われる、などである。条件付きの善い行いである。カントが求めていたのは、無条件に善いことである。ある目的のために手段として善いことではなく、それ自体で善い事。これが善意志であり、それだけで光輝いているという。道徳法則は定言命法であるという。定言命法とは、自分がやってることをみんなどこでもやってしまったらどうなっちゃうか、考えながら行為しなさい、というもの。これは自分が自分に命じているというのだ。この定言命法に従う意志が、善意志と呼ばれるものである。






