youtube哲学漫談完成版(正式版?)を毎日アップします。ユーストは未加工版(一か月保存)ねとらじは音声のみで生で今まで通りやっていきたいと思います。こちらからです!!−−>新設!!大人の教育番組 ジョーカーの哲学漫談 youtube!!! すべて整理!ジョーカー情報はここに集合ーー>MJKワールド 哲学漫談生配信はここ! 哲学漫談録画はこちら! 熱帯雨林さん作のジョーカームービーはここ! 大人の教育番組3ちゃんねる生放送 ジョーカーによるネットテレビ放送!!
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Live video chat by Ustream 哲学漫談視聴について    朝の哲学漫談は今まで通り一人演説にさせてもらいます。チャットがきても答えらないかもしれないけど、無視したり、嫌ったりしてるのではありません。あしからず。よるの哲学漫談はチャットをしながら、とくにこれといったルールなしでやっていきたいと思ってます。よるのまんだんは哲学の話とは限りません。ダンプ放送はひるのまんだんです。     よるの哲学漫談、したらば掲示板はこちらです。-->http://jbbs.livedoor.jp/music/23492/

2006年11月05日

お詫び

先日は体調不良、血液検査のためお休みしました。
posted by モノイイ ジョーカー at 19:40| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 仙人養成講座について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月13日

盆休みについて

一時帰省のためお休みします。
posted by モノイイ ジョーカー at 18:46| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 仙人養成講座について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月09日

本日の投稿について

  本日、腹痛のためお休みさせていただきます。医者にいったら、風邪による腸炎だそうです。
posted by モノイイ ジョーカー at 19:02| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 仙人養成講座について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月01日

お知らせ

  これから人間改造学部、新企画等は仙人養成学校別館人間改造学部にて投稿し、動画ブログ、マッシュTVは仙人養成講座視聴覚室マッシュTVという別のブログにて投稿いたしますので何卒よろしくお願いします。
posted by モノイイ ジョーカー at 19:48| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 仙人養成講座について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月21日

本日の投稿について

 仙人養成学校を閲覧いただきいつもありがとうございます。本日の投稿ですが、宇宙人養成講座はじめ、ポッドキャスティングの投稿がパソコンの不具合のため投稿できません。お休みさせていただきます。ご了承ください。

 症状:外付けハードにMP3データを保存しようとすると、空き容量がないとエラー。空き容量をエクスプローラーで確認したところ、半分以上残っていました。
posted by モノイイ ジョーカー at 23:08| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 仙人養成講座について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月26日

名称変更のお知らせ

 いつもご愛読、ご清聴ありがとうございます。
このたび、当ブログは名称を仙人養成講座から仙人養成学校(大人の学校)へ変更いたします。また、カテゴリも変更を加えました。

  今後ともよろしくお願い致します。
posted by モノイイ ジョーカー at 19:27| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 仙人養成講座について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月14日

重要なお知らせ

いつも、ご愛読本当にありがとうございます。
  仙人養成講座が大幅にリニューアルされます。ポッドキャストの宇宙人養成講座外伝、他のブログであった偉人養成講座が建築家養成講座という名で移植、また、建築家養成講座は新たな投稿が始まります。更にくわえて、新たな講座が増えます。お笑い教育番組というテーマのもと、講座数を増やしていきたいと思います。
 尚、各講座の投稿時間を午前、午後に便宜的に分け、基本的に下記のようになります。
ヒョッコリ 
 午前投稿の部 仙人養成講座(哲学)、建築家養成講座(偉人養成講座の環境工学を移植)

 午後投稿の部 仙人養成講座(列伝など)、建築家養成講座(新しい投稿です)、 宇宙人養成講座外伝(ポッドキャスト)、不老不死養成講座(不定期です)、超人養成講座(不定期です)、外国人養成講座(不定期です)、張りペタブロガー養成講座(不定期です)
ソーレ! 
 おもしろい企画がありましたらコメントお願いします。 

 今後ともよろしくお願いいたします。テツフロッグ グーグー 



 

 
posted by モノイイ ジョーカー at 19:45| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 仙人養成講座について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月04日

お詫びのお知らせ

いつもご愛読ありがとうございます。パソコンのトラブルのため、記事の投稿ができません。御了承ください。復旧次第、投稿します。
posted by モノイイ ジョーカー at 06:51| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 仙人養成講座について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月31日

仙人チャットの開設について

 仙人チャットを始めました。
管理人ジョーカーや訪問者同士の哲学的な対話に使って下さい。尚、管理人ジョーカーは不定期に現われますのでご了承ください。 

 ケータイはコチラからアクセスしてください。

 http://monoii.crown.cgiboy.com/
posted by モノイイ ジョーカー at 22:54| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 仙人養成講座について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月17日

仙人養成講座 哲風呂 中学生英語からラング、パロールへ 

中学1年生が初めて英語を勉強するとき、脳左側で血流が活発になる。ところが、大学生になって英語が上達すると同時に、血流低下、活動が節約されることが、東京大大学院総合文化研究科の実験で分かった。語学学習の熟練度、言語障害からの回復を、脳の活動で測定できるようになると期待されるという。16日付の北米神経科学会誌に発表された。

  慣れてくると必要最小限で最大の効果を得ようとする。ムダな動き、活動が少なくなるのだ。トイレを終え、一度、シコをふんでから水を流すものもいない。トイレで一人、シコ踏んでも、マッチ売りの少女が幸せになることもないし、人類が発展することもない。剣道家もシナイを紙一重でよけ、面の中で顔がかゆくなったら、長細いベロでぽりぽりする。翼はいらないがベロ先に爪が欲しいと願う。面の中にゴキブリが現われたら、さすがの達人も至近距離でどうゴキブリと戦うかが見ものである。ボクシングにはクリンチというものがある。時折、入れ歯でなく、マウスピースをした老人が生き別れた実の兄と再会するとき、クリンチして喜ぶ。

   パン食い競争でも、寄り道して佃煮を食べてからパンに噛み付くピラニアはいない。アンコの匂いを嗅ぎ取ってピラニアはアンパンに近づく。水の中で目がバッテンになったアンパン。ジャマおじさんがアンパンに石を投げつける。ホントにジャマだ。なんの解決にもならないのだ。

  バッテンに突進するアフリカ横断ウルトラクイズの出場者。米印のケツの穴に突進して、どろんこではなく、クソまみれだ。

   足に水虫がいた。オスかメスかは解らないが、虫取り網で捕獲を試みるが、水虫捕獲ならず、謎の水中生物ボンボンも二時間番組で結局、捕獲されず、貴重な時間を取り戻したくなる。水虫には軟膏をつけるのがベスト。もっとも効率的に水虫を治そうとし、軟膏をしぼりだす。出てきた薬が深海映画アベスの海底人そっくりで、思わず、腰を抜かしてしまうのだ。
   人間はムダな動きが多すぎるのだ。

  靴のかかとを踏んだままホップ、ステップ、ジャンプ。ホップで靴がとび、ステップでズボンが脱げ、ジャンプで裸体をさらけ出す。そんな最悪の事態を回避すべく、靴べらでかかとを元に戻そうと国会の補正予算で決議。靴べらは背中を掻くためにあるのではないと、NKKスペシャル、靴べらの実態、という番組で見る。かかとを削るためにあるらしい。靴べらでなく、つま先で地面をけって、直そうとする。地球が若干、土星に近づいたとNASOの宇宙人飛行士からポケベルで連絡が入る。つま先で地面をけったとき、不幸中の不幸にも、犬のふんを勢いよくつま先でつぶす。犬のふん即死。靴のかかとに手をいれたら、八目うなぎに噛み付かれる。


  一度、習慣になったら、目を閉じてもできてしまう。目を閉じながら居眠りをするオナラの大仏。目を閉じても、鼻をかんだティッシュをゴミ箱に投げ入れる事だって、僕にもできる、と授業参観で親の前にて作文朗読。

 寝ている人の眼球が動いている。観察はしばし、5分もつづいたが、鼻の穴からロケット花火が飛び出してくることも無く、一件落着。甘味処でお茶と草団子を食べ、肛門さま一向は重い腰を上げようとはしない。ヤシチが風車にのってやってくる。悪代官はワルであるという情報をもってきた。それでも、重い腰を上げようとしない。巨大なゴキブリホエホエに捕まっていたのだ。触覚がないから、猫じゃらしを手に左右に振っている。腰にはチャンピオンベルト。甘味選手権優勝の証である。

  習慣とはなにか。よく、体で覚えるという。クルブシに脳みそがつまっているわけでなく、人間は体と世界が完全に溶け込んでいる状態である、と言ったのが哲学者メルローポンティーである。赤ちゃんは自分の体と自分以外のもの、たとえば、手のひらに載せている相撲取りとの明確な境界線を認識できない。どこから自分でどこから相撲取りのロウ人形なのかわからないのだ。自分を意識していないという意味で前人称性であるという。

  ところが、親の背中や、わきの下の脇毛をみて、あかんぼうは育つ。らんぼうはプロテインとミルクで育つ。親が世間とかかわっている姿を見て、学習するのだ。電柱にマーキングする。電柱と親は別ものであると認識。自分もまねてみる。自分と電柱との境界線ができるのだ。これを自意識という。

 体と世界が一体だから、様々なものがとりわけ、意識しなくとも、体でおぼえてしまう。しかも、ムダが少なかったりする。先の英語学習もおそらく、習慣となっていったのだろう。
 また、言葉についてソシュールは次のように考えた。言葉には社会の約束事である文法、これをラングといい、もうひとつは自分が実際に口に出して使っている言葉、パロールに分かれると。口からは言葉しかでてくるのではない。世界の国旗もでてくる。

 実際に自分が使っている言葉、例えば、あいつらを捕まえてぽいぽいしてやる、とか、ミジンコキックでオダブツになるか、それとも、糸みみずになって老後、自分を介護してくれるか、二つに一つ、究極のアンサークエスチョンだ、と言ったとする。これらは、厳密な意味で日本語文法からは若干はみだしている。ところが、文法、ラングに則ってもいる。

 つまり、ラングに従いつつ、オリジナルな発話、パロールをして、ラングを変えてしまう。流行語や、若者言葉はパロールというオリジナルな表現がいつのまにか、若者社会の言葉、文法、ラングになった。ラングにしたがって、パロールし、パロールがラングを変えてしまうという関係なのだ。時代とともに、言葉も変わって来た。ござる、とか、にんにき、という忍者言葉を使う忍者は減ってきたのだ。今の忍者は、殿様のマゲをゲット、とか、手裏剣をちゃちゃっとなげちゃう、という言葉を使っているのだ。  
  

  
 
posted by モノイイ ジョーカー at 07:58| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(1) | 仙人養成講座について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月16日

仙人養成講座 哲学列伝 カント

 さてさて、ここでやっと、単一性と数多性とをくっつけるときがやってきた。雪だるまの頭と胴体を別々に作る。頭担当のも、胴体担当のものにわかれて一生懸命、全力を尽くして作る。腕や足を作るものはともかく、足のくるぶしを大量生産しているグループの顔色は何だかやる気がなさそうである。パーツがすべてそろった所で、市長を呼んで合体式を行う。テープカットが始まるがハサミがなかったのでつめ切りで切ってもらう。ちんこを最後につけて、立派なメスの雪だるまが完成するのだ。

  ここでは単一性と数多性をくっつけてみる。すると、白い煙があがっておその周りを取り囲んでいたおじさんはおじいさんに、そして、おじいさんはワープして赤ちゃんになってしまう。つまり、あけてはならぬ玉手箱と同じ成分の煙がでてきたのだ。そして、煙の中から姿を現したのは、総体性のカテゴリーである。総体性とは、単一性と数多性の両方の性質を持っている。あかちゃんをダッコしていると父親似だね、と近所の人に言われたりする。ダッコちゃん人形をだっこしていて、父親似と言われたら、父親は遠く旅にでて、機械の顔をもとめてアンドロメダに行ってしまったりする。ハーフアンドハーフのように、右半分がお父さん、左半分がお母さんに似ている場合もある。別に、あかちゃんの顔にピーマンやピクルスがトッピングされていると言っている訳ではない。
posted by モノイイ ジョーカー at 21:45| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 仙人養成講座について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月15日

仙人養成講座 哲学列伝 カント

 次に二番目の数多性である。数多性とは、何だかわからないが、ひたすらいっぱいあるということ。もしかしたら、一級さんの頭をNASUSの人工衛星から拡大したところ、無数のオハギの集まりかも知れない。比較的身長が低く、腰が横に曲がっているばあさんならば、そのオハギを全部食べて、満足気な顔つきで水の上に座っているだろう。水の上に座っているというチョウジョウ現象であるが、ここではメインではなく、サブであり、脇役にとどめ、説明を省くことにする。しかも、分割しても、いくらでも小さくなり、最小単位というものがないのが数多性の概念である。目に見えないほどのものが無数にある。目がねをかけても、逆さにかけたり、まゆげにかけて口をとがらせようが、見えないほど無限に細かいものがいっぱいあるのだ。
posted by モノイイ ジョーカー at 20:50| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 仙人養成講座について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月14日

仙人養成講座 哲学列伝 カント

 三つの内訳であるが、単一性、数多性、そして、総体性というカテゴリーに分けられるのだ。
 まず、単一性のカテゴリーである。単一性とは、読んで字のごとく何だかものの最小単位のように見える。これを角の生えている豆大福と解釈するものはいないだろう。仮装大賞では、15番、顔、というお題でどうしてもお尻に見えてしまうことがある。ところが、単一性という言葉から連想するのは、ものの最小単位である。豆腐一丁、という。これが単一性であり、豆腐の角にヘッドバッドすれば、豆腐はこなごなになり、もはや、豆腐一丁ではなくなる。豆腐として、下町に育ち、豆腐として、大手一流企業に就職。豆腐として存在するための、最小単位が一丁なのだ。パンツもパンツとしての威厳を保ちつつ存在するための最小単位がパンツ一丁だ。パンツのねじが取れてばらばらになってしまったら、もはや、パンツではなくなる。つまり、単一性とは、その状態を維持したままでは分割不可能であり、かっちこっちの固い最小の粒のようなものなのだ。
posted by モノイイ ジョーカー at 17:49| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 仙人養成講座について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月05日

仙人養成講座 哲風呂 子泣き相撲から懐疑論へ

 先に泣いたが勝ち。 子供の健康を願う節分行事「子泣き相撲」が行われた。一歳前後の赤ちゃんが向かい合い取組が続いた。赤ちゃんと行司のユーモラスさに会場は温かい笑いがたえなかった。

 「はっけよい。泣きなさい」と声を掛ける行司。えびす顔のせいか、笑い出したり、眠ったまま、双方泣かない「引き分け」。元気に泣き出す赤ちゃんも多く、双方泣く「両方勝ち」もあった。

 子泣き相撲にはうっちゃりなどの高度な技はない。うっちゃりとは、相手のまわしに手を入れて持ち上げ、そこからは説明不能の動きをする荒業だ。まわしの隙間に手を入れること自体、その勇姿に圧倒する。もし、手を入れて、何かあったらどうするの、と実家の母に叱咤激励。まわしの隙間に何が潜んでいるのか、何が起こっているのかわからない世の中。他人も信用できないが、まわしの隙間も信用できないのだ。

 「はっけよい。泣きなさい」と言って、季節はずれにミンミン鳴き出したり、ワンワン、ニャンニャン、ピーピーと鳴き出し、バードウォッチングする田村マサーシことマーチーが双眼鏡で鳥のお尻をズームイン。けたたましくBGMがなり響き、鼻を真っ赤にした天気予報士が大きな温度計を持って街角に立っているのだ。大きな体温計を又の間にはさみ、空を飛ぶザリーちゃん。基礎体温計かもしれない、と軍事評論家が一言つぶやき、また、暖かい布団の中にもぐりもむ。とにかく、泣く子もいれば、笑う子もいる。さすがに、行司のコメカミに股間を当て、動いたらもらすぞ!と脅かす赤ちゃんはいない。もし、アンヨにクマがいるのでなく、目の下にクマがあるような赤ちゃんがいたら、きっと、天井裏からブルブルウィルスが様子を疑っている。奈良の大仏のヒザの中をホフク前進して、たまに、ホフク後退、ホフクジャンプもして、凶悪な赤ちゃんに近づこうと試みるのだ。

 泣く子も黙る、というが、お尻から奇声を発している人、現代用語に直すとオナラしている人であるが、そんな人がオナラを中断することがあるだろうか。せんべいを食べているとき、物音が聞こえ、口の動きが止まって、耳が若干大きくなるものはいる。外で雪男とかっぱが宇宙人をいじめていたら、さすがに、オナラ中の人も一旦、オナラを止め、外の状況を聞き入る。単発で力のあるオナラも途中で止められるが、かなりの鍛え上げられたお尻の筋肉が必要であることはいうまでもない。

 子泣き相撲では、赤ちゃんを頭上高々と持ち上げる。よく、この時期、朝のニュースで目撃するが、そんなとき驚くこともなく、感動もあまりない。ただ、茶碗に入っている納豆がテーブルに逃げないよう気をくばりながら、朝飯をくっていたりする。ところが、赤ちゃんが上下に空中浮遊しているのかと思いきや、大人が持ち上げていたということがやっと、最近、めがねを買ってから判明した。持ち上げている大人が完全に背景に同化して、見えなかったのだ。いままで、普通に赤ちゃんが上下に空中浮遊という恒例行事を何の疑いもなく、見ていたのである。視力検査で紙に書かれたガラを見て、数字の88に見え、決してゴキブリの触覚には見えたことがない。水玉が集まった模様を見て、水ぼうそうと答えた被験者もいない。人間はモノを認識するとき、見ているモノと背景を区別して認識しているのだ。

  見ているものを図といい、その背景を地という言い方をする。相撲中継を見ているとき、どうしても、興奮気味の観客の顔が後ろの方に見え、それが力士以上に気になって目で追ってしまうこともある。はっけよい、のこった、という掛け声とともに、力士は壮絶にぶつかり合い、行司はエレベーターのドアが閉まったあとのように、口笛を吹き、済ました顔でいるかもしれない。目の前の力士のおっぱいを押して、三階呉服店売り場、と小さな声でつぶやく。そんな光景を見ないで、うしろの観客に意識が集中。興奮気味で鼻の穴から目が飛び出しているおばさんだ。この場合、おばさんが図であり、力士は背景、つまり、地となる。図と地が逆転することもある。

 哲学者フッサールは人間の意識は志向性を持つ、という。何かを見つめる。つまり、方向性ということだ。心、意識とは、ボタもちのように、ただ存在しているのではなく、常に何かに対しての意識。先の例で言えば、バードウォッチングで鳥のノドちんこを見入ったりすることだ。このとき、図と地に分かれるのである。

 さて、話は子泣きじじいと相撲をとる赤ん坊であるが、赤ん坊は、まだ、自意識に目覚めていない。自意識とは、我思うゆえに我あり、と自分の存在を自覚すること。

 かって、哲学者デカルトは世の中にあるすべてのものを一度、疑って見なさいと言った。下半身裸の相撲取り、表現を変えると素っ裸であるが、そんな人に田舎のリンゴをおっそわけに持っていかない。信用できないからだ。目の前に犬が片足を上げているが、マーキングではく、さりとて、シコふむのでもなく、自分のフンを踏んづけているのではないかと疑いの眼差しでみる。

 極端に疑うと、世の中、すべて、幻覚、夢ではないか、存在しないのではないかと思いはじめる。ところが、今、疑っている自分の存在だけは、どんなにがんばっても疑えない。自分の存在が前提されて、いろんなものを疑うことができるからだ。ところが、赤ちゃんは純粋無垢で疑おうとせず、ありのままにすべてを受け入れるのだ。
 
 
 
 
 
 
posted by モノイイ ジョーカー at 07:52| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 仙人養成講座について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月03日

仙人養成講座について

               sakura  

仙人養成講座にようこそ。何をかくそう、古代から現代までの諸氏の哲学をおもしろく

学び、仙人になっちゃおうという企画です。まじめなものを不真面目に語り、道徳的な

ものを不道徳に語るという極端な手法を使いますが、何とぞ気を悪くせずに、読み進め

ていってください。

哲学を面白くわかりやすく学ぶ、といいましたが、

時として、表現が風刺的であったり、不道徳であったりします。哲学の性質

上、難しい表現であったり、閉鎖的で一部の人の独占であったりと、世間に

はその門戸が閉ざされているのです。そのために、難しい外国語や書物を

用いづに学べるシステムを作るのが賢明であると我々は考えています。

次には、表現の場です。路上で哲学の深遠な問題を論じ合うものはあまり

見かけません。



一見、ネット社会には思想、倫理性、人間性とは無縁なもの。そこに思想

性を持ち込む、とはいささかオーバーな表現かもしれません。





次には、表現の場です。路上で例えば哲学の深遠な問題を論じ合うものはあまり

見かけません。

現実の社会では学問的な哲学問題などを論じる場所が少ないのです。そこで、

昨今のコンピューター技術の発達。その恩恵であるインターネットを利用し

て、これを哲学や他の学問の表現の場、特定のジャンルの交流の場

にしようと考えているのです。現代科学の最先

端で、極めて人間的な価値を作ろうと考えるのです。



また、先ほど、道徳的なものを不道徳に表現するというような旨をかきましたが、

われわれは難しい哲学を誰にでもおもしろく理解できるというモットーから、

そして自由な表現という意味からもこれを法律の範囲内で許容します。


さて、ばろきえの24人のキャラクターが、様々な哲学を

紹介します。ばろきえの杜とは、初級編であり、哲学者をキャラクターにし、

ストーリーによって彼らの思想を表現、アレンジしたものです。

一通りの全体を理解したら、次は哲学列伝にチャレンジ。これはちょっと中級。

哲学列伝では哲学の流れを哲学漫談という形で表現したものです。

そして、第三段階でばろきゃら紹介がきます。ばろきゃら紹介はちょこっと上級。

おのおののキャラクター(ばろきゃら)を少し掘り下げて説明します。

いずれにせよ、全く哲学とは無縁であり、前知識が一切ない方を哲学通にするために

考案したものであり、実際の哲学、思想を的確に表現したものではありません。

そのため、随時、わかりやすく、最良と思われる哲学関連の書籍を紹介します。

哲学とは何なのか、むずかしそう、とお思いのかたにおもしろく哲学を知り、

興味をもっていただければ幸いです。

三つの項目が終わった段階で仙人試験にチャレンジ。

仙人試験をパスすると、晴れてネット仙人の誕生です。

ネット仙人は既存の主義、イズムをかかげてたり、オリジナルの主義、イズムをかか

げ、他の仙人たちとネット上で壮大なお題のもと激論を交わすことででしょう。


まだ企画段階ですが、仙人養成講座では仙人試験なるものを作り、ネット仙人となって

さまざまな思想を吸収したうえでオリジナルの主義、イズムを作り、

掲示板にて投票付き討論を展開することを考えています。


なお、哲学列伝、ばろきゃら紹介のおのおののキャラクターページは、一通り終えても

ほぼ、同じ内容ですが異なった言い回しでくりかえし投稿する予定です。

はじめは投稿が不定期ですが、後に定期的で何回で完結するかを明記しようと思ってお

ります。
posted by モノイイ ジョーカー at 00:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 仙人養成講座について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする