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2009年08月15日

存在の科学  ホロムーブメント理論 マルチバースな世界  永遠と一回は同じ 物体の神は人間

 存在の科学  ホロムーブメント理論 マルチバースな世界  永遠と一回は同じ 物体の神は人間

  今回はマルチバース風に、オムニバスで関連のない話を並べ立てた。一貫性がない世界観。マルチといったらマルチ商法にマルチ人間といろいろあるが、マルチバースとはたくさんの宇宙、世界が同時に出現ということだ。実際にセカンドライフというサービスは独自の通貨を使い、世界のなかで生活するサービスだ。ほかにもいろんなサービスがある。国際経済だ、とひとつではなく、全く異なる経済体制が同時に存在できるようなマルチな世界。いわば、パラレルワールドのようなもの。2012年のフォトンベルトというが、光が地上に降り注ぐ。これが地上波デジタルだと解釈したらどうであろうか。地上波デジタルはPCでテレビがみれるし、ネットとTVの区別も取り去るであろう。さらにはサーバー型の放送が広まる。好きなときに、好きな番組が視られる。要するに、話題を共有できなくなるのだが、共感、共有ではなく、真の対話がうまれるかもしれない。相手の知らないこといい、自分の知らないことをしゃべる。この共有したひとつの情報ではなく、複数の情報が乱立するさまはまさにマルチバースである。以前お話したが、人類の進化は人類の想像を絶するもの。からだの形態の進化、枝分かれではなく、時空間の枝分かれ、パラレルワールドになってしまうのだ。これこそ、到来するであろうマルチバースの時代ではないか。皆が異なった世界、時空間に住むのである。

  マルチを実践するべく、ちがった話に転じる。これまた以前お話したが、魂の永遠性と出会いの一回性、またその逆もあるかもということで、魂の一回性と出会いの永遠性についてお話した。ここで新しい考えを言いたい。じつは、永遠とはたった一回のことではないかと。永遠は即、一回性なのだ。だから、今の瞬間はたった一回だが、同時に永遠なのである。一回性と永遠性は表裏一体という世界観だ。

  またまた、マルチバースで異なった世界観にいってみる。私は生きているが、私自身が加工を施したり、いじくったりできないものがある。それは私の存在を全面的に支えているベース。これに対しては私は受身、受動的である。それでは私が自発的に加工できるものがある。産業革命移行、無機物を加工し、いろんなものを製作した人間。えんぴつ、くるま、パソコン。こういうことだ。私が加工できないが、私を存在させてくれるなにか。これがあえていうと神様と呼ぶ。神様は私を加工し、私は神様にとっては受動的だ。無機的な物体は人間を加工できず、受動的であるはず。ところが人間は無機的物体を加工した。つまりは、無機的な物体にとってわれわれは神なのだ。無機的物体もそういう意味でなにかを営み、生きているともいえる。



posted by モノイイ ジョーカー at 23:36| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 存在の科学 サイエンス オブ ザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月14日

存在の科学   ホロムーブメント理論 大地があるから太陽があり、肉があるから精神がある  光の後続性について

存在の科学   ホロムーブメント理論 大地があるから太陽があり、肉があるから精神がある  光の後続性について

  りんごという物体があって、これに光照らされて反射。そして、私はこれを認識。一般的な考えである。光に照らされないと認識できない。陰陽思想があるが、陰とは物体、肉体、女。陽とは光、精神、男。人類の起源は男か女か。太陽の光に照らされて地球には肉ある生命が繁栄しているのか。

  最初に陰がある。粒子があって、これに反粒子が衝突。ここで消滅し、ここにクオリア、感じることが発生。消滅してそこからフォトン、光が生まれるという。つまり、肉、粒子がさきにある。なにかを感じ、認識するから光が発生する。すると、地球上の動植物の肉があり、大地があるから太陽はこれを照らす。おそらく、人類の最初は女性であろう。

 これを光の後続性と名づけたい。

 太陽と地球は陽と陰。太陽は精神であり、地球は肉体である。ひとと同じ構造になっているのだ。そして、肉体があるから精神、意識活動がうまれるという唯物論的な考えになる。肉体は日々、新陳代謝をし、細胞は死滅、消滅している。この消滅が感じ、クオリアをうむ。同じく、ひとりのひとが死滅する。すると、周囲のひとたちが悲しむではないか。ここに人類としてのクオリア、感じがある。個人の消滅もまた、対消滅であり、人類の感じ、クオリアを作っているのではないだろうか。

posted by モノイイ ジョーカー at 14:25| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 存在の科学 サイエンス オブ ザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月10日

存在の科学  ホロムーブメント理論 認識の光の共鳴がタキオン 共鳴が客観世界をつくる

存在の科学  ホロムーブメント理論 認識の光の共鳴がタキオン 共鳴が客観世界をつくる

  意識がなにかを感じるとは粒子と反粒子の対消滅、そのとき光を産出する。ものをみる、感じるとはこの光の放射である。そして、この光の強烈なものがプラズマになり、はては脳のプラズマ映像、イメージをつくる。これはあくまでイメージ、実体なき世界だ。客観的に存在している森羅万象はなにゆえ発生するのか。私が放った光と他者がはなった光が同じ周波数の波ならば共鳴して触れ幅を大きくする。これが波動性から粒子性への移行。対自から即自存在への変化だ。即自の永遠性がここであらわれ、それゆえに出会いの共鳴は永遠性だといった。このフォトン、光という波動の共鳴、重なりあいがともすれば、光速度を超えたものをうむ。光どうしの伝達は光速度をこえたものによってなされる。これがタキオン粒子である。以前にお話したが、タキオンのビームによってつくられるのが客観的な実在物というホログラムだった。また、光速度以上のタキオンは光速度以下のふつうの物体をつくるレプトンと同じものかもしれない。つまりは、光速度か、非光速度かである。だから、ふつうの物体を組成するレプトンは同時にタキオンでもある。ひとびとの認識の光が干渉、共鳴しあって客観世界をつくっているのだ。そして、男女においては感じあうことでひとの命をつくる。


posted by モノイイ ジョーカー at 19:35| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 存在の科学 サイエンス オブ ザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月09日

存在の科学  ホロムーブメント理論  魂の一回性、出会いの永遠性  他者との出会いは関係を永遠の相に固定する

存在の科学  ホロムーブメント理論  魂の一回性、出会いの永遠性  他者との出会いは関係を永遠の相に固定する

  以前に私という魂は永遠であり、出会いはたった一回限りだというお話をした。その逆もまた真なりというお話をしたい。私は毎回ちがったものを感じ、瞬間の一回性。私の一生もまた一回性と考えるのだ。すると、永遠性はどこにあるかといえば、私以外のものとのふれあい、出会い、だということになる。

  それはあたかもスチール写真のごとく固定される。しかも、写真は紙に刻印されるから紙の腐食があるから永遠ではない。そもそも、非実体的なこころ、意識、魂のおはなしなのだから、腐食はありえない。瞬間瞬間の出会い、一生通じての出会いこそ、紙のない写真であり、無時間なイデアだといいたい。ひととの出会い、ひととのいまこの瞬間の共感、昆虫との出会い、さらには消しゴムとの接触。私はひとから昆虫から、物からもまなざされている対他存在である。私はまたかれらをまなざし、即自存在として固定する。自分との完全一致は他者によってなされるのだ。こうやって対自存在や、とまっているとどうじに流れている意識流という矛盾にみちたものを一枚の写真のように固定するのである。マゾ、サドはなにもネガティブなものではない。即自化が永遠の今、出会いを作る。

  意識は粒子と反粒子の対消滅であり、それによってフォトン、光という副産物がうまれるといった。つまりは、意識は光という波なのである。単品の意識ではただの波であり、たとえば光の一粒を放つと、四方八方にあそこにあったかも、ここにあったかも、というように可能性、確率的に光は拡散。まさに意識とはこんな平行世界的な光の波。この波を固定し、粒子にすることができる。波動性ではなく、粒子性を強めるのが共鳴現象である。虫眼鏡をふたつつかって同じ場所に太陽光をあつめると、粒子性がうまれて紙をもやしたり破壊する。同じ周波数だから、山は山、波は波というように振幅をおおきくさせてあたかも粒子のような性質をかもしだすのだ。この光どうしの共鳴こそが、私と他者との出会いあり、ふれあいである。 


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2009年08月08日

存在の科学 hdkjjdcn

存在の科学 hdkjjdcn

  この世界は必然的な流れ、運命というものがあるのだろうか。はたまた、自由意志や偶然性などがある世界なのだろうか。意識とは、粒子と反粒子との対消滅だといった。そのときにフォトン、光粒子が産出される。光粒子といっても、波動の性質をもっている。かりに光の粒をひとつ的にむかってなげる。すると、そのひとつの光粒子の軌跡はたくさんあるのだ。ひょっとしたら右にいったかも、もうちょっと上かも、というようにあらゆる可能性がそのまま軌跡になる。これが波動性である。つまり、光も含めて波というのは、きわめて自由なふるまい、ひょっとしたらの可能世界、パラレルワールドの世界なのだ。だから、ここに自由がある。時空間になにもない真空状態。それでも  波動はあり、光はある。無、無いというのは波動があること。そこに自由の意識状態が出現する場がある。光にみたされ、自由度が増してゆく。だから、量子論的な波の自由、カオス的なふるまいではなく、どうしても粒子のニュートン力学的な必然法則が不足する。そのため、ひとの意識は必然法則にしたがう粒子性のつよいもの、つまりは物質を産出しようと、活動するのだ。

  ちなみに宇宙を満たす物質は必然的なニュートン力学にしたがうのであって、波動はちがう。だから、スピノザがいうように、宇宙はすべて形、幾何学的なものの全体であり、しかも、機械的な必然性にしたがっているとしたが、じつに、幾何学は光にてらされれば出現するもので、実際の三角形そのものの物質は不要、よって、自由な存在なのだ。幾何学は必然法則ではなく、意識の自由であり、光の波動である。物質の機械的必然性と幾何学、数学の意識的偶然性である。だからユークリッド幾何学、非ユークリッド幾何学のどっちを採用するかはひとの自由意志によってはじめに決定される。


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2009年08月07日

存在の科学  ホロムーブメント理論 感じるとは宇宙の時空間の生成である

存在の科学  ホロムーブメント理論 感じるとは宇宙の時空間の生成である

  なにかを感じるとは消滅だといった。きつつあることが感じること、クオリアなのだ。完全に有が無に転じるのは粒子と反粒子の衝突による消滅、つまりは対消滅である。対消滅によって発生するのがフォトン粒子という光の粒。だから、光によって何かを感じ認識するのではなく、認識しているから光が発生しているともいえる。さて、光、フォトンの速度は一定。アインシュタインの光速度一定の法則。そして、この光の速度を一定に保つために帳尻あわせのために時間と空間がゆがむ。なにがゆがんでゆがんでいないかの仕切りはない。時間と空間軸がつじつまあうように固定されるのだ。つまり、時空間という宇宙そのものをつくっているのである。感じて、クオリアによる対消滅が光を発生させるとは、そのことによって宇宙時空間の形成でもある。感じる、クオリアとは世界の生成、変形、加工であり、宇宙への積極的な参加である。カテゴリーや観念をくみあわせるための連合法則。はては力学の法則にいたるまでかんじているから作られる。

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2009年08月04日

存在の科学  ホロムーブメント理論 世界の構造

存在の科学  ホロムーブメント理論 世界の構造

  グラスを眺める。すると、角度によっては光と影の微妙な変化があり、形だって変わる。これを射影というが、こんなたくさんのシーン、たくさんの視点があつまってグラスの全体ができている。一個のグラスとその無数のあらわれ。これが世界の構造の基本である。私もAさんもBさんも、なんだか同じ私そのものの多数のあらわれではないのか。私という人格はひとつでも、その時々で異なった気分だ。ヘアースタイルだって年齢だって刻一刻変化する。手前にいる自分だけでなく、こんどは外に目をやろう。グラスがあり、テーブル、椅子がある。これ存在者はなんだか存在そのものという一なるもののいろんなあ現われではないのか。一なるものが多となって現る。これこそ世界の共通する構造であり、まさしくホログラムだ。感光版の縞模様は一なるものだがあ、ここに異なった周波数の光をあてるとさまざまなシーンの映像が浮かび上がってくる。すべてが類似し、同一構造であるからこそ、私は  
他人の存在を感じる。私とそっくりな他人の意識を感じる。複雑な類似関係をつぶさにかんじることだ。

   
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2009年08月03日

存在の科学  世界とは微妙であり、それゆえにわれわれはロゴスを営む

存在の科学  世界とは微妙であり、それゆえにわれわれはロゴスを営む

  この世界を観察してみよう。そのほとんどは微妙である。完璧な丸も三角もない。すべすべの肌だってよくみるとしわや毛穴があるはず。言い表しがたい微妙な世界が真相なのだ。主観と客観、私と私以外の境だって適当だ。善悪だって入り混じっている。時間と空間もブレンドされている。空間的なシーン。その連続が時間になる。しかも手をあげた次の瞬間、足があがっていない。なにゆえ連続的なプロセスがあるのか。時間と空間の混合物。さらにはそこには必然的な流れであるニュートン力学のような法則があるとどうじに、偶然の論理である量子論もまざっている。だから、完璧に連続的な変化はないし、計算不能のものだってある。天気予報で雲のうごきを完璧に計算できないのはバタフライ効果といって力学にしたがわない偶然性があるから。とことん微妙で中間の中間をいっているのだ。世界は一なるものか、はたまた多元的か。その中間の微妙なものだといいたい。これが世界の全てであり肉、物体の世界だ。だからこそ、ロゴスがまざる。ロゴスとは意味、言葉であり、白黒はっきりさせる効用をもつ。ひとがロゴスという秩序をつくり、根拠をことばで表現するのはこの微妙な世界から決別するためであった。生きているという実感だ。生死という微妙な中間ではなく、生きるのである。まどろみではなく、覚醒。そのためにロゴス、根拠が必要だったのである。おそらくは真実にはこの微妙な中間世界なのだが、それだと生きていけない。ひとはひとであり、きゅうりではないんだ、と主張する。ことば、ロゴスで境をつくる。


posted by モノイイ ジョーカー at 13:51| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 存在の科学 サイエンス オブ ザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月02日

存在の科学  ホロムーブメント理論  世界の言葉は独り言、われわれの言葉 はコミュニケーションであり、対話である

存在の科学  ホロムーブメント理論  世界の言葉は独り言、われわれの言葉
はコミュニケーションであり、対話である


  夏にせみがなき、ひるまはみんみんゼミ、夕暮れにはひぐらし。秋は赤とんぼのおいしい季節。夕暮れには民家から食器の音、かれーのにおい。雑音だってどうでもよい物体のうごきだって、世界、宇宙のすべてのもののうごきには複雑な文法があるのかもしれない。つまりは世界のあらゆるものの動きはすべて単語の文法に則った組み合わせであり、意味づけだ。実際にいろんなものに意味がある。ものは単語で宇宙文法にでも従う。だれがしゃべっているのかといえば、それが神様なのかもしれない。しかも、だれかにむかってのコミュニケーションではひとり言なのであろう。世界のことばとは独り言。これにたいして、人間はじっさい複数いるのだが、複数のものたちの言葉はコミュニケーションになる。つまりは対話なのだ。宇宙は独り言によってできた産物であり、人間は対話によって人間の世界をつくるのだ。

  ことばをロゴスという。肉はことばであり、ことばは肉である。それがキリストになった、というヨハネ福音書。まさに、宇宙の言葉が肉、つまりは事実として存在する物体。それいがいにわれわれはただのロゴス、人間としてのロゴスをもている。
posted by モノイイ ジョーカー at 16:26| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 存在の科学 サイエンス オブ ザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月01日

存在の科学   ホロムーブメント理論 マイケルジャクソンのゴースト 集団的信念がホログラムをつくる

存在の科学   ホロムーブメント理論 マイケルジャクソンのゴースト 集団的信念がホログラムをつくる

  マイケルジャクソンがなくった。CNNの追悼式の映像になんとマイケルの亡霊らしきものがうつっていたというニュース。かりにあれがマイケルのゴーストだとしたらどうしてわれわれにみえるのか。

  個人の信念によってそのひと自身の手足をうごかすことができる。強いビリーブがからだをうごかし、さらには周囲のもの物理的にうごかす。それでも、遠くはなれたものは動かせないし、加工もできない。いわゆるホログラムの変容は周囲とおのれのからだにかぎる。この世界には私ひとりではなくなにゆえ複数の他人がいるのか。複数のものたちが同じ精神をもって、同じ信念でつきうごかし、生成しているホログラムがある。これが世界であり、客観的な物理的世界ではないだろうか。間主観性と客観性のことだ。つまり個人はからだと周囲の力学的影響。集団、人類は世界の物理的なもの、世界情勢、経済、などなどのホログラムをつくる。巨大なぶったいを動かせないのはこの集団的なビリーブが働いているからだ。

   ここでおわかりであろうか。個人の定立ではなく、人類の定立が世界をつくっているということ。世界中のひたちの信念がつくりだしたホログラム。それが今回の奇妙な出来事だったのかもしれない。


posted by モノイイ ジョーカー at 21:39| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 存在の科学 サイエンス オブ ザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

存在の科学  ホロムーブメント理論  魂の永遠性  出会いの一回性

存在の科学  ホロムーブメント理論  魂の永遠性  出会いの一回性

 魂は不滅なのか。たしかに人格は同一であるが、魂を不滅と考えたい。すると、、前世、現世、来世、永遠に続く魂である。生間領域で自分を100パーセント理解している超自己意識。100パーセントの理解が永遠になる世界。ところが生を受け、さまざまなもの、人物と出会い、互いに理解しようと努めるのだが、この出会いは一回限りのものだといいたい。たった一回限りの出会いだから尊いし、それが愛となづけられる。相手を理解しようとするが100パーセント理解したらそれで完了、愛になり、繰り返さない。うわっつらの関係のものたちはおそらく理解しあっていないので、なんどでも来世で出会うであろう。理解していないから繰り返すのである。雨乞い運動は雨が降るまで繰り返されるのだ。だから、前世、現世、来世という時間的な永遠性と、隣人がいる空間的な一回性ということをいいたいのだ。100パーセントの理解が一回性になる世界、これが空間的なものだ。

  球根というのはず〜っとおなじまま。そこから咲いた花は周囲の状況の変化とともに、違うものになり、ちがうものと出会うではないか。同じ蝶々には出会わないのである。

  出会いがいかに大切なのか。愛がなぜすばらしいのか。そんなお話であった。



 魂は不滅なのか。たしかに人格は同一であるが、魂を不滅と考えたい。すると、、前世、現世、来世、永遠に続く魂である。生間領域で自分を100パーセント理解している超自己意識。100パーセントの理解が永遠になる世界。ところが生を受け、さまざまなもの、人物と出会い、互いに理解しようと努めるのだが、この出会いは一回限りのものだといいたい。たった一回限りの出会いだから尊いし、それが愛となづけられる。相手を理解しようとするが100パーセント理解したらそれで完了、愛になり、繰り返さない。うわっつらの関係のものたちはおそらく理解しあっていないので、なんどでも来世で出会うであろう。理解していないから繰り返すのである。雨乞い運動は雨が降るまで繰り返されるのだ。だから、前世、現世、来世という時間的な永遠性と、隣人がいる空間的な一回性ということをいいたいのだ。100パーセントの理解が一回性になる世界、これが空間的なものだ。

  球根というのはず〜っとおなじまま。そこから咲いた花は周囲の状況の変化とともに、違うものになり、ちがうものと出会うではないか。同じ蝶々には出会わないのである。

  出会いがいかに大切なのか。愛がなぜすばらしいのか。そんなお話であった。



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2009年07月31日

存在の科学   ホロムーブメント理論  キリストの十字架は世界の陰を増やす為

存在の科学   ホロムーブメント理論  キリストの十字架は世界の陰を増やす為

  意識とは粒子と反量子の衝突。電子と陽電子の衝突による消滅、いわゆる対消滅だといった。そして、対消滅すると副産物としてのフォトン、光粒子が放出される。意識し、感じことは光を産出することであって、光照らされているから認識ではなく、認識するから光がでるともいえる。さて、意識体、生命体の数はすごかった。いろんな生命がいろんなことを感じたであろう。だから、光粒子、フォトンがいままで大量に放出されたのだ。そのフォトンはどこかにおさめられている。これをフォトンベルトとかんがえればよいではないか。光粒子、フォトンはその反粒子と衝突すれば対消滅をおこすのか。フォトンの反粒子はフォトンであり、対消滅はしない。だからふえるのである。光は陰陽でいえば陽。だから、陰、つまりは影がその反粒子になる。陰陽のバランスをえるために宇宙は調節がおこなわれる。フォトン、陽が多いので、地球上ではさまざまな影、陰がうまれる。過剰な陽にたいしてなされることは陽をへらすこと、陰を増やすこと。陽と陰の2項対立にあてはめると、たとえば、善と悪、精神と物体、男と女となる。だから産業革命で物質文明が到来し、女性の社会進出がめざましい。卵子は陰であり、精子は陽。だから、精子の数が減る.悪も当然増え、罪も増えるであろう。ことば、ロゴス、意味は陽である。だから、ロゴスは肉となる。ここにヨハネの福音書を引き合いに出す。ロゴスは肉となり、それがキリストになったと。陽が陰になり、男性が女性になり、善が悪になるのだ。イエスは生前、さまざまな善行をなされた。ところが最後にすべての人類の悪行、罪を背負ったではないか。つまり、ロゴスが肉となったのだ。よって、世界では陰が充満し、陽が不足。だからこそ、陽、つまりは陽である光を産出する生命、意識体の出現をうながすのだ。イエス様あってこその生命誕生、人類の繁栄だったのである。

  いきなり話はミツバチとメダカ。ミツバチが世界中で謎の失踪をとげているという。メダカの失踪事例もある。ミツバチは八の字ダンスなどでコミュニケーションをする昆虫。つまりはロゴスが強い。メダカは清流という純粋なところを住みかにする。純粋性とロゴスはあきらかな陽であり、陽を減退させるための宇宙の帳尻だったといいたいのである。



      人格の同一性、理解、そして、状況倫理についてである。出会い系と聞いた事がある。ここは出会い系といったらコタツのなか。いろんな色、匂いの靴下がここで出会い、交配し、靴下の種が栄える。出会い、愛の逃避行をし、かけおちしたりする。時をかける少女ではなく、駆け落ちする少女であり、ライスにカレーをかける少女だ。ライスカレー食べたい、とヘイベイビーのオープンカーに乗っているモヒカンヤロウが叫ぶ。たった一回限りの大切な出会い。そして、永遠の魂。一回かぎりと永遠について考えてみたいと思う。

   まずは人格の同一性についてである。先日、水面のうえを歩いていたら、スイマーのあたまをふんでしまった。当然、一日あけた今日も踏みつけられた少年に対して謝罪しないといけない。昨日やってしまったことに対する責任がなぜうまれるのか。それは昨日と今日の私は同じ私だからだ。たしかに先日は紳士服、本日はステテコを着ていて、明らかに服装は変化した。それでも同じひとだとなぜいえるのか。なぜ、あそび人金さんは奉行所で気がつかれないのか。ほっかぶりの威力だと専門家はいうかもしれない。

  なにをもって人格を同じとするか。身体説と記憶説がある。昨日と同じおっぱい、昨日と同じ水虫の皮を装着している。同じからだだから同一人物だといえる。ところが、日々、人間は新陳代謝しているではないか。昨日と微妙にちがうのである。こうなったら、私の記憶に頼るしかない。宇宙人がストローで記憶を吸い取っていない限り、あたまをふんじゃったことはおぼえているはず。覚えてないことは責任をとらなくていいよとなってしまう。

 もうひとつ魂の生まれ変わりの問題がある。いきなりエレベーターガールが密室で魂と叫んだら、おそらく腰をぬかしてしまう。うまれかわっても同じひと、人格だというにはからだがいっしょか、前世の記憶によるしかない。ところがえてして本人には前世の記憶がない。

 次の話は理解とはなにか、について。たがいに話し合い、さすって、押して理解しあう。アンダースタンドと聞こえてきた。鼻の下が高くて、鼻の穴が青い外国人だった。理解とは説明ではないとディルタイは考える。これからこちらの全自動瞬間歯ブラシという商品について説明させてもらいます、と営業マン。説明は淡々とつづき、これといって感情的になったり、ドラマチックなところがない。この商品の角にあたまがぶつかると、こんなふうにりっぱなこぶができて、こぶを秘密基地と見間違えた火星人の襲来をうける。連邦軍が背中のハッチから加勢するために戦線までやってくる。とにかく、説明と理解のちがいはあきらか。科学的な法則はただの説明。3+3は6です、というのであって、あっはっは6だよ、とはならない。科学ではなくて、生を感じるときに、理解が必要だという。かれが生きているということを感じるのが理解だ。まず、やまちゃんは自分の生を踊りや表情、腰のふりで表現しているではないか。この表現を通して、彼自身の立場になって入りこむ。いわゆる自己移入する。すると、彼自身がひとまえで裸踊りしながら赤面しているその気持ちを体験できちゃう。これが追体験である。
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2009年07月29日

存在の科学 ホロムーブメント理論  われわれは最初からいるし、今後もいつづける   ひらめきとはいまはなきものの超自己意識

存在の科学 ホロムーブメント理論  われわれは最初からいるし、今後もいつづける   ひらめきとはいまはなきものの超自己意識

  われわれ生きているものは突如前触れもなく、ひらめくことがある。過去に経験したわけでも、未来を一生懸命予想していたわけでもない。ただ、電光石火のごとく直感するのだ。これがいわゆる知的直感といわれるもの。

  人類のほとんどは死滅してもう存在しない。いまだうめれていない未生児も無数にいる。生きている人間はわずかなのだ。いままで歴史上存在したひとたちはいずこへ。じつは生間領域で超自己意識状態、自分を100パーセントしている状態だ。これはサルトルのいう神的なもの、即かつ対自存在のこと。こんな超自己意識があたりにさまよい、生存している人間に働きかけひらめきがうまれる。じつに、昔生きたひとはいま生きているひとの意識そのものに分散されている。ということはいま生存しているひとたちは過去に生存したものたちでもあり、未生児でもある。言っている意味がおわかりであろうか。われわれは増えもしないし、減りもしない。最初からいたし、今後もいる。



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2009年07月26日

存在の科学   ホロムーブメント理論  二重時間性と二重空間性 

  存在の科学   ホロムーブメント理論  二重時間性と二重空間性  

  時間とはひとつではない。産まれたときに卵子に精子が受精し、すべての生が誕生。しかも、異なった時間軸でそれが成長をする。Aさんという個別性をつくり、Bさんという個別性、このもの性を生み出した幹となる時間。ここからすべての時間軸が派生し、AさんはAさんの時間軸を生きる。

  時間とはこんな重複ではないのか。これを二重時間性と名づけたい。単一の一次時間性と、ここから発生した子供らの複数時間性。一元的時間と多元的時間ともいってよい。空間も同じく、遠近法的な多元的空間と、客観的なニュートンのいう一元的な絶対空間がある。

  一次時間性として働くのが超越論的自我であり、二次時間性として活躍するのが経験的自我ともいっておきたい。

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2009年07月24日

存在の科学  ホロムーブメント理論 子をもつのが数億分の一 産まれたのは100パーセント必然  

存在の科学  ホロムーブメント理論 子をもつのが数億分の一 産まれたのは100パーセント必然
 


  人間の意識はたしかにいろんな情報を入手しているが、ここから不必要な雑音などを排除し、必要なものをまとめあげている。つまり、枝葉と幹をわけているのだ。本道と横道をわける。意識のありかたはまた進化にもあてはまる。人類をはじめ、本道は生き残り、枝葉は絶滅した。

  意識とは電子と陽電子の衝突であり、そのときに光粒子が出現するといった。地球にフォトンベルトがふりそそいだとき、粒子と反粒子の強烈な対消滅にみまわれ、ついには覚醒情態、超自己意識になる。この超自己意識は自分を100パーセント知っている意識状態で、今後の来世、未来の自分のあらゆる出来事、状況のホログラムを設定しているものだ。これは生間領域にあるといったが、まさしくこういってはなんだが、フォトンベルトによって人類は滅亡ともいえる。ところが、来世において、未来においてひとは生まれ変わる。しかも、全て各人の超自己意識がつくった時間軸をいきるのである。すると、時間軸は膨大にふくれあがり、空間だけでなく、真の意味での宇宙時間の膨張もここにある。

  さて、進化としてこれをとらえるとすべての各自の時間軸が本道なわけではない。そのたったひとつが幹になる。同じように卵子にすべての精子が受精し、異なった時間軸を歩むこどもたち。別の時間軸で成長をとげるが、その一億近いほとんどの時間軸は枝葉になる。本道はたったひとつ。この本道こそがいわゆる自分の子をもつことである。だから、うまれてきたのは必然だが、子をもつのが数億分の一だということになる。実際、周囲をみわたすとたしかに子をもつ親はたくさんいる。ここでの話は異なった時間軸をもからめた話である。



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2009年07月23日

存在の科学  ホロムーブメント理論  地球は卵子であり、フォトンベルトという精子のすべてを受精し,時間軸の枝分かれがはじまる

存在の科学  ホロムーブメント理論  地球は卵子であり、フォトンベルトという精子のすべてを受精し,時間軸の枝分かれがはじまる

  恐竜の進化、そして、絶滅。隕石が地球にふりそそぎ、小さな爬虫類は生き残り、大型爬虫類は絶滅したといわれている。ここに進化の枝分かれがあった。恐竜にとってみればなにがなんだかわからない事態だったであろう。進化とは当の生物種の知恵、知識を超えたもの。人類も例外でなく、人類的な進化、枝分かれの際は既存の知の枠組を越えたことが起こる。もはや枝分かれが形態上のものとか、生物学的なものではない。時間軸が枝分かれするのである。

  生命体の意識とは粒子と反粒子の衝突による消滅現象だといった。もっというと電子と陽電子の衝突による消滅。これを対消滅という。このとき、光粒子であるフォトンが三つ副産物として出現。だから、人間の意識はわずかながら光放つ。われわれの意識はそれほど強烈な対消滅ではないので、意識の覚醒も浅い。自己意識であっても、完全に自己のことを知ったり、感じてはいない。ところがもし、あの光粒子、フォトンの集合体であるフォトンベルトが地球にふりそそいだらどうであろうか。フォトンの集合体ということは、おそらく、そのフォトンベルトの内部では強度な電子と陽電子の対消滅が起こっているであろう。つまり、それがわれわれの意識にふりそそぐと、意識が超覚醒情態になる。これが以前お話した超自己意識である。前世と現世の生と生のあいだ、生間領域で超自己意識は自分のことを100パーセント見とおす、いわば、神の意識状態でおのれの次の世での出来事、出会うものを設定しているのだといった。この超自己意識情態になって、すべての人々はおのおのでおのれの来世、未来を設定しはじめる。この段階ですでに異なった時間軸に枝分かれをするのだ。もちろん、同じ時間軸に進むものもいるであろう。時間軸の枝分かれが人類の進化だといいたい。

  さて、ここからが本題である。地球を卵子に見たててみる。そして、フォトンベルトが精子である。卵子に精子が降り注ぎ、受精するのだが、すべて精子,フォトンが受精して異なった時間軸、パラレルワールドをうみだし、そこで誕生するのだ。実際の人間の誕生と重ねてみる。私が誕生したのは何億分の一の奇跡だといわれる。そうではなく、私がうまれたのは必然だったのである。ひょっとしたら別の精子が受精していたら私ではないだれかがいるはずだ。まさに、別の時間軸、パラレルワールドにいるのである。だから、精子のすべてが卵子に受精し、そこから精子の数だけ無数の時間軸が枝分かれするのだ。だから、私は必然にいる。私いがいのうまれてこなかった子供たちも別世界で生活している。

  フォトンベルトが降ってくるまでわずかだという。その前兆現象として空からおたまじゃくしが降ってきた事件が相次ぐ。おたまじゃくし、つまりは、精子があたかもこの母なる大地、卵子に降り注いでいるようなそんな象徴的な出来事だとおもえてならない。
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2009年07月21日

存在の科学   ホロムーブメント理論  進化の枝分かれが、フォトンベルトによって時間軸の枝分かれとなる  進化論の進化  客観底に定められないものの到来

存在の科学   ホロムーブメント理論  進化の枝分かれが、フォトンベルトによって時間軸の枝分かれとなる  進化論の進化  客観底に定められないものの到来

  フォトンベルトとは光粒子、フォトンの集団が帯状になったもの。ハッブス望遠鏡がわれわれの住むおの天の川銀河に光粒子の帯、しかも、ドーナツ状の帯をみつけた。まずは、光粒子、フォトンとはなにか。すべては原子によって構成され、原子は原子核と電子、そして、中性子によってできているという。マイナスの電荷をもつ電子に、プラスの電荷をもつ陽電子が衝突するとプラスマイナス0で消滅するという。その副産物として、光粒子、フォトンが三つ誕生するという。以前にお話したが、この粒子と反粒子、電子と陽電子の衝突による消滅、これを対消滅というが、これこそ生命の意識だといった。この消滅が意識活動である。

  さて、われわれは身の回りの物体からもたしかに対消滅によるフォトン、光の発生を認めることができるが、それどころか太陽はもっとたくさんの光、フォトンを地球にそそいでいる。そして、対消滅による意識活動をいとなんでいるが、これは通常の自己意識であって、100パーセント私自身を知っているという覚醒状態ではなく、私は私にとって全部みえないという不透明な意識だ。地球のあるこの太陽系がもしフォトンベルトに突入したらどうなるかである。さきほどもいったように、フォトン、光粒子は電子、反粒子の対消滅の副産物。だから、フォトンベルト内部では無数の電子と陽電子の衝突があるのではないか。だから、ここにはいるとわれわれの意識はより活性化され、もっと覚醒状態が強くなる。すると、私が私自身を100パーセント知っているという透明性のある意識、以前お話した超自己意識状態になる。

 超自己意識は前世と現世のあいだの私の意識であり、100パーセント私自身を知っていて、つぎの世でどんな状況がまちかまえているかを自分が自分に設定する段階だ。だから、フォトンベルトによって超自己意識が覚醒したとき、我々は各自各様にさまざまな未来世界を設定する。あるものは完全平和の世界、あるものは寂れた世界。こうやって、パラレルワールドのように時間軸が各自分裂、枝分かれするのである。

  われわれはさまざまな知の枠組、パラダイムを持っている。このパラダイムで状況を客観的に認識しようとする。ところが、進化とはこんなパラダイムをぶち壊す物。客観的に人類の進化が計算できない。いままでのパラダイムである帰納法をもってしても、いままでこうだから人類の進化もあたまがでかくなるか、あごが退化するというようなこともいえばい。帰納法もあらゆるパラダイムを通用しないくらい強烈な進化だ。だから、いままでの進化論の枝分かれ説すら成り立たない。進化論も進化するのである。

  かって、恐竜たちが隕石落下によって滅びたといわれている。恐竜にもパラダイムがあっただろうが、かれらのパラダイムには納まりきれない出来事である。キリンの首が長くなったのもそうである。キリンたちは客観的に理解できない。人類もまた同じである。進化論的な枝分かれがあるだろうが、次元が枝分かれするのである。つまり、時間軸がひとつだったが、フォトンベルトによって超自己意識が覚醒し、各自の時間軸、パラレルワールドをつくるのである。だから、時間軸の枝分かれ、これがフォトンベルト突入のシナリオだ。フォトンが空が舞い降りてくる。これは恐竜にとっての隕石の落下に相応する。

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2009年07月20日

存在の科学   ホロムーブメント理論  アセンションとホログラム理論

存在の科学   ホロムーブメント理論  アセンションとホログラム理論

  アセンションがフォトンベルトによって誘発されるという。宇宙はひも、弦によってできているという超弦理論。どういうことかといえば、弦をはじいたときの音色が特定の素粒子になるというのだ。それが光粒子、フォトンだったり、別の素粒子だったりする。弦をはじいた短音だ。この短音である素粒子があつまってメロディになるが、これが分子構造だったりする。さらに一曲になって生物種になったりする。宇宙は壮大な神の音楽というひともいる。あきらかに、すべては弦の音色だという一元論だ。その昔、ホログラム理論というものもあった。レーザーを感光板にあてると、感光板に描かれた干渉縞にあたってホログラムがつくられ、それがこの現実世界だという。しかも、レーザー光のあてる波長によって、さまざまなホログラムが形成される。その感光板にしるされている干渉縞はすべての情報が一挙につまっていて、それを特定周波数のレーザーでひきだすのだ。これまた一元論である。すべてはひとつというワンネスという思想。どちらも同じことをいっている。弦をはじくのが神ではなく人間だったら、特定周波数のレーザーをあてるのが私自身だったらこれは同じことだ。私は前世と現世のあいだの生間領域で超自己意識であり、ここで現世でおこることを設定した。さらに、これが現世で現われているのが胃袋の消化活動よりももっと無意識レベルである超無意識であり、この超無意識が周波数のレーザーを放ち、周囲のホログラムをつくっているといえる。

  さてフォトンベルトが降り注いだときどうなるか。光の帯であり、弦の波長が共鳴してすべては光粒子になってアセンションだ。このフォトンベルトが私自身が放ったレーザーだとかんがえればよい。というのは、私が超無意識下で作り出した人類的な進化であり、進化とは当の種にとってみれば超無意識下においてなされるのだ。首の短いキリンにも実践的な知恵があった。知恵つまりは知識などによってはどうもわからないことがキリンにふりかかる。首がのびたのだ。おそらく、超無意識下において欲していたからであろう。人類の知識の枠組で人類の進化はとらえられない。それを越えた最前線の意識レベルこそ信念であり、超無意識なのだ。われわれはだから、およそ論理的には飛躍する次元の上昇といういわば信仰の対象としてしか人類自身の進化を感じることが出来ないのだ。

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2009年07月18日

存在の科学  ホロムーブメント理論  事実を科学する

存在の科学  ホロムーブメント理論  事実を科学する

  事実ここにあんぱんがある。事実とは具体的であり、たったひとつの個物がある。これは奇跡に近いものであり、力であり、活力である。これにたいして普遍的に通用しちゃう法則などには力がない。

  事実というのは妙であり、微妙、巧妙、精妙である。とにかく、絶妙なバランスで不安定を刻一刻克服しつつある。完全に安定したものなく、完全な中心もないから、中心を求めて変動している絶妙なレベルだ。ここから力がうまれる。

  カタストロフィーの原理とは、放ったらかしにすれば秩序は無秩序へとむかうというもの。そびえたつビルもカタストロフィの原理によって平坦になる具体的には地球の重力であり、重力によってうまれた風、水である。地球の中心にむかって落下しようとするが中心をもとめて変動する。これが崩壊、無秩序への移行であり、スーパーカオスと呼びたい。

  生きているもの、生命活動とは細胞の生成と消滅。この生成と消滅の微妙な中間に生、生命活動がある。さらに生と死、生と生のあいだにも微妙な不安定領域、中間領域があり力をうむ。これが生間領域の超自己意識である。事実とは自分のすべてを知り尽くした生間領域の超自己意識であったり、生成消滅の中間領域である生命活動、さらには超無意識であったりする。

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2009年07月17日

存在の科学  ホロムーブメント理論  神とひとと時間重力  中心のずれ

存在の科学  ホロムーブメント理論  神とひとと時間重力  中心のずれ

  タイムマシンにパラレルワールド。これらはSFでよく登場するもの。ところが、日常にはないとおもいきやふつうにあったりする。タイムマシンとはまさに自分の意識であり、われわれは過去の記憶と未来の予測ができるではないか。また、ひょっとしたらやまちゃんだったかも、というように自分の外には無数のひょっとしたらの自分がいるとしてみよう。すると、これがぱれるワールドになる。縦に時間軸、横に空間軸を置く。私の自己意識は不完全であるが、生間領域の超自己意識になったときに私のさまざまな時間的な出来事を設定している。さらに、空間的には私のそとには私とおなじょうな他人がいる。空間を貫き設定しているもの。これが神様ではないだろうか。横軸を縦軸にしてみれば、同じような生間領域での超自己意識のようにみえるのが神様だということになる。フォイエルバッハがいうように、神様とは自分にとってのひとかもしれない。ただし、空間軸である。

  さて、空間の中心とはどこか。中心にまとまろうとして重力がうまれる。陰と陽の絶妙なバランスをつくるために重力がうまれ、地球がある。さらに、この地球は太陽の引力にとらられ、太陽系は銀河中心のブラックホールに吸いこまれつつある。こうやって、中心があるわけだが、微妙な中心のずれが重力における加速をうむ。だから、ブラックホールへと加速度をましながら落下するし、地球にも重力加速度で落下する。空間の中心にすいこまれようとする。同じように時間もまた調和せんとする。そして、中心をつくりだすが、その絶妙な陰陽バランスがたゆまなく更新されつづけ加速度が生じる。これが空間における方向性をつくっている重力とおなじような時間重力といわれるもの。時間にも方向性があり、しかも加速している。未来へむかって落下中なのだ。そして、歳が経つにつれて速度を増す。 


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