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2005年05月14日

ばろきゃら紹介 山中のタオニズム   荘子 

山中のタオニズム   荘子

キャラクター   ダッダ

 dadda.GIF


 老荘思想であるが、山中の隠者といわれる荘子である。彼はさまざまなデタラメ話に特徴がある。奇想天外のホラ話を読み、心身が脱落する。これが心身の超越でもあるのだ。私の言っていることはデタラメである、と荘子は言っている。
 デタラメとはお尻から頭髪が生えるとか、大仏は実は逆立ちをしている、ということと同じくらいデタラメである。

 荘子の思想に万物斉同というものがある。アゴを手でこすりながらいくら理屈で考えようとも理解しがたい。アゴヒゲが抜け落ちるだけである。たとえば、現実の日常生活では、さまざまなものや価値観がある。男の三大要素はやさしい、力もち、ちんこついてる、ということ。ジャンボジェット機の操縦士の三大要素は判断力、視力、耳たぶついてる。プロレスラーの三大要素は、勇気、たくましい、鼻のアナがある。なんでも、こうあるべきだとか、細かく、具体的な性質を分析したりする。

 ところが、万物斉同の思想は、まず、すべてが相対的であると考える。自分だけが存在して、それ以外はみみずに食べられてしまったとする。みみずの頭と下半身の区別はつかない。どれいもんもどっちが頭かわからないことがある。相当、酔っ払ってるときである。とにかく、自分以外のものが突如、消滅したら、自分だけでいままでと同様にへそのゴマを食べていられるだろうか。荘子は自分は自分以外のものがあって、はじめて自分でいられるという。つまり、自己意識は自分を意識するだけでなく、自分以外の電柱や、山田くんなどがあって、はじめて生まれるというのだ。また、彼は人間が住みやすい家、おにいちゃんの部屋、じいさんの部屋、そして、相撲部屋もある3LDKの家。サルや、どじょうにとっては必ずしも住みやすい家ではないという。また、食べ物も人間がおいしいからといって、どじょうも大すきであるとか、自分が好みの男優、女優だからといって、どじょうもすきであると限らない。つまり、価値も徹底的に相対的であるというのだ。

 こんな相対的なものの見方を変えるには、静かな心の奥底にひっこんで、忘我の境地に達することであるという。ここで、わたし、あなた、それ、などの相対的なものを超え、六段のとび箱は超えられず、お尻の角をこすってしまうが、とにかく、すべてのものはみんな同じであると自覚するのだ。これが万物斉同の境地である。

 荘子は山にこもり、自分のありのままに生きた。これによって、自然と一体となり、万物と一体になろうとしたのである。


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ばろきゃら紹介  非暴力主義   ガンジー 

非暴力主義   ガンジー

キャラクター  ハンプティーガンデー

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ばろきゃら紹介  儒教  孔子 

儒教  孔子

キャラクター  エピ原さん

 孔子の哲学である。彼は伝統的な思想を持つ。宇宙、神秘的なこと、自己、解脱などの問題には関心を示さなかった。金魚すくいに興味があったかどうかはわからない。

 社会に対して有用な知識に関心があったのである。つまり、大人なのだ。

 教育の基本を、文、行、忠、信であるという。礼によって互いに譲り合う気持ち。どうぞどうぞ、といってせんべいではない、マシュマロな座布団を差し出したりする。本屋で前を失礼するとき、魚のようなかっこうで、失礼します、小声でいう。ニワトリのものまねをして前を失礼したら、ほんとうに失礼である。譲り合う気持ちさえあれば、国をおさめることもたやすいという。
 

 epihara.GIF

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ばろきゃら紹介  形而上学 アリストテレス

形而上学 アリストテレス

キャラクター アリ (ドロブック)

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哲学列伝から抜粋

次にアリストテレスのお話。アリストテレスはプラトンの弟子。床のぞうきんがけを命じる和尚さんとでっち小僧との関係。もちろん、この和尚さん、日本昔話で静止画で使われたやつ。身動きひとつとれず、くちもとが動かないのに、生意気にしゃべっていたりするあいつだ!おそらく、ヤブカには食われっぱなしで、声はイッコク堂だったりする。

この師弟関係。お互い似てるところあれば、ぜんぜん違うところもあるんだ。まゆげの濃いーところは似てるが、チクビの存在感はかたや強烈、かたや、ウスイのだ。

まず、イデアに関してはお互い似ている。足の指の間には自然発生した宇宙のチリやカスは見当たらない。きれいさっいぱり、さわやか青年のようにイデアは奇麗だ、と絶賛。イデアは余分なところなく、ふろあがりにさっぱりして、しわやアソコを水に流してしまったおじいさんのようだ。余分なものはいっぱいある。なみぺいさんの頭についているツノ。アレを二の腕につきさせば、インフルエンザにかからないわけでもない!空から大魔王がふってきても安心。自己防衛のためについているものでもないのだ。余分なものをとってきれいさっぱり。これが、イデアについてもつ二人の同じ見解なのだ。


ところが、アリストテレス、このイデアを別の言葉におきかえた。エイドスという言い方だ。ケツの割れ目をケツのラインと言い表すバイリンガルと同じだ!エイドスはイデアとどこがちがうのか?京都弁になっただけなのか?


エイドスが居る場所がちがうのだ!アリゲーターに携帯でどこにいる?とたずねれば、アマゾンにある流れるプールにいる!と答えるだろう。0007のジョーンコネリーに電話すれば、電車の屋根!と不機嫌そうに息をきらして答えるだろう。

エイドスが居る場所。これは、イデアのように天上界でなく、現実の世界におる!と答えるのだ。ところが、机を見ても、机そのものは見当たらない。ドスだったら腹巻のなかにあるよね。惣菜コーナーで餃子と腹巻を買ったことがある人にはわかるはずだ。エイドスも現実の机の中に存在する、というのだ!

植木鉢には植木鉢そのものが宿っている。太郎君には人間そのもののエイドスが宿る。そして、穴あき靴下にはヤドカニが宿るという、そいうあんばいだ!

プラトンとアリストテレスが肩をならべて写っている有名な絵がある。プラトンは空を指差し、アリストテレスは地面を指差す。空飛ぶUFOを発見し、かたや、地面でくつろぐツチノコを見つけたわけでもない。地面にはせいぜい犬のフン、空には空飛ぶ犬のフンがあるだけだ。

理想をみて、天上界のイデアに思いはせ、上を向いてあるこう、のプラトン。現実を見て、エイドスを見つめるアリストテレス。二人は対照的だね。

ただ、個人的には、上を見ながらシタほうが、カベに描かれている変な落書きを見ないですむし、そんなとき、下をむけば、自分に悲観してしまうものだ。

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ばろきゃら紹介 全体主義

全体主義  

キャラクター   ボム

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ばろきゃら紹介  神秘主義  シュタイナー   

神秘主義  シュタイナー

キャラクター  神王サマ

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ばろきゃら紹介  唯物論者 マルクス

 唯物論者 マルクス

キャラクター チョコ

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哲風呂から抜粋

何事も計画性がないと失敗する。計画経済と言ったらカールマルクスである。
 まずは、疎外という聞きなれない概念である。タムタムという名前もあまり聞いたことがない。病院の待合室でタムタムさーん、第二ゲート通過してください、というアナウンスはきいたことがない。タムタムは原住民なのか、ゲートボールの玉なのかはっきりしない。

 ヘーゲルのいう疎外とは、難しい言葉で言うと、外化という。彼の場合、自然状態にある人間が自然から抜け出して、自然を見つめ、それを対象化する。

 自分が座っていたイスから立ち上がる。立って、とプスプス少女ハイジンが命令、ダンペーも立つんだチョーっと気合をいれ、コルコ31が立て、と銃口をむける。クレレは立ち上がり、自分の座っていたイスに装飾を施す。竜がインド象に巻きつき、背景には富士山が描かれている。インドっぽくも、中華っぽくも、また、日本食の匂いもするすばらしい絵をイスに描くのだ。つまり、クレレはイスから飛び出し、自分の住み着いていたイスを加工する。この飛び出すことを外化という。

 人間も自然状態から外化し、社会や文明を築くのだ。これはヘーゲルの言う外化であり、肯定的で、明るい消防隊員募集のポスターのようだ。

 フォイエルバッハは、人間の本質が外化したものを宗教であると考えた。つまり、人間が人間から飛び出て、人間観察する。バードウォッチングならば、双眼鏡で鳥の鼻の穴の数をカウントする。ところが、自分を双眼鏡でウォッチングするとは、双眼鏡でカカトについているつぶれた納豆が見えるくらいだ。だから、人間は人間を外化して、対象化する。そして、人間の本質が対象化した宗教によって、むしろ、人間が疎外されているというのだ。

 マルクスは自分が作り上げた規則に縛られることを疎外という。野球にはルールがある。このルールは肩幅が広いアンパイアが作ったものかもしれない。いずれにしても、人間が作ったルール。時折、横断歩道で一塁ベースを持参して、リーリーっと言ってベースを離れて近づいてくるメザシ帽をかぶった少年。防犯カメラで映っている有名人かもしれないが、彼は野球のルールに束縛され、温泉にもいけず、プールにも入れない。つまり、野球にカツという本来の目的からはずれて、ルールに縛り付けられているのだ。

 疎外された労働という。本来は労働とは創造的でなければならないが、逆に労働から疎外されていることをいう。

 なぜそうなったのか。マルクスは社会関係を変えなければ疎外はなくならないと考える。社会の窓を閉めるのではない。チャックをしめたところで、股間が汗をかくだけだ。

 マルクスは疎外の原因を剰余価値と考える。剰余とは何かプラスということだ。洗濯物が干されているが、いっしょに季節外れにコイノボリも干されている。隣の洗濯物よりも、プラスアルファだ。

 1000円のお金で1000円の缶ジュースを買う。ここでは剰余価値が生まれない。ところが、剰余価値が生まれる商品がある。労働力である。一日、八時間、リカーちゃん人形の足の指を作る。実際、労働者が生活するためには6時間の労働力でよいとする。残りの二時間の労働力を剰余価値という。

 この剰余価値が資本家を富ませ、肥えさせるという。体重も増えるだろう。これをマルクスは賃金奴隷制といったのだ。
  
 
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ばろきゃら紹介  平和主義 

平和主義  

キャラクター   ヨヨ
 
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ばろきゃら紹介  懐疑派 ピュロン  

 懐疑派 ピュロン

キャラクター  スコッチ

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ばろきゃら紹介  街中のタオニズム  老子

 街中のタオニズム  老子

 キャラクター  タッタ

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 道家の思想、老子である。道という考えがある。道といっても、時折、靴下や靴が落ちている一般道とは違う。たしかに、靴が落ちているのを見ると、変なことを想像してしまう。ガムが変色してこびりついているものでもない。道とは一から生じて、ニになり、ニは三になって三は万物を産むという。一、ニ、三、ときたらダ―といきなり釣り人を後ろからおどかして海にちゃぽん。ばしょうさんが川に飛びこむおじさんという俳句を歌うが、メロディーは下を向いてカニ歩きしよう、である。そして、人面魚となって余生をおくる。
 陰と陽がくっついて調和し、そこから万物が産まれるという。男と女がくっついて赤ちゃんが産まれる。ヒザとヒザがくっついて赤ちゃんが産まれたら謎が深まる。ヒザの宅配便と思わず言いたくなるのを我慢して、道について考える。

 道は一という気を産み、一は陰と陽の二つの気を産む。そして、陰、陽、混ざり合って三である沖気を産むという。沖気とは陰と陽が調和されている状態であり、クリ―ミーなコーヒーというマイルドな状態。ここから万物が産まれるのだ。

 道は宇宙の力である。

 そして、自由の女神の足の指は何本というような雑学や知識ではなく、徳にしたがって生きることにより、道と調和するという。この徳とはお買い得用の割れセンで使う得ではない。徳とは自然の力であるという。

 自然の力である徳を実践し、究極の実在である道と調和する。道とは、無常、変化の根底にある永久に変わらない何かである。つまり、現実のせせこましく生きている世界、一日中、もぐら叩きゲームをしていたりするのだが、そんな生活から離れて隠遁生活をするのが、道家の実践である。必要最低限の行動しか起こさない。オナラをするとき、お尻を45度傾けるのは、傾けすぎ。わずかコンマ1度傾けて隙間からオナラを逃がす。無駄な動き、エネルギーを使わない。逃げていったオナラは恩返しに弁当の匂いだけ運んできてくれるものだ。この最小限の動き、無為自然というのである。

 森羅万象、反対のものに転換するという。縮小すると拡大する。ズームアウトになって、徳ミッツちゃんが小さくなって豆粒である。昼と夜、男と女もタイキョクをなすのだ。


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2005年05月13日

ばろきゃら紹介  有神論的実存主義  ヤスパース

有神論的実存主義  ヤスパース

キャラクター ヤスオくん (ドロブック)

 yasuo.GIF 

哲風呂から抜粋

文学的表現、科学的表現、八百屋さん的表現、同じものに対しても様々な表現の仕方がある。モノの認識、例えば、靴下に空いた穴。これに対して様々なアプローチの仕方がある。科学的なアプローチ、文学的アプローチ。科学的に穴の大きさを測定。靴下の遺伝子を採取して、培養する。顕微鏡で見ると水虫が指の間に挟まって、ウラドラマンを呼んでいる。穴あき靴下に対する文学的なアプローチ。これは、靴下の穴があったら入りたい。文学的な表現。ゴーシチゴーシチシチか、三三七拍子である。頭隠して尻隠さず。覆面をかぶった下半身丸見えおもいっきり変態である。

 このアプローチのことをヤスパースは世界定位という。ものの認識の仕方、どの角度からみているかである。飼育員から見るチンパンジーとお客さんから見るチンパンジーは違う。まして、一匹のノミにとってチンパンジーは天敵である。やるかやられるかの関係である。

 科学的世界定位は科学的なものの見方である。白衣を着てスポイトを口にくわえ、ビーカーを頭にのせれば、科学的にモノを認識できるわけではない。回転寿司に行って子供は大喜び。ぐるぐる回っている。自分が回転している。科学者は回転寿司の遠心力と操縦士であるワサビがどういう関係にあるのか研究する。生物学的世界定位では犬のヨダレは食欲によるものであり、人間のように人としゃべっていて偶然、ヨダレをたらしてしまったというものではない。物理学的世界定位はエサである私のお尻に犬が噛み付いたとき、どれくらいのアゴの力がお尻に加わるのかを実験的に検証したりする。そして、哲学的世界定位である。これは視点をもたない。つまり、映画館にいったとき、必ず、特定の席に座らなければならないが、どの席にも座らず映画を見る。一番前の席にすわれば、スクリーンにうつる俳優のツバが飛んできたり、鼻毛がみえてしまったりする。後ろの席で前の席の客が座高世界一のオリンピック金メダリストならば、後頭部しか見えない。

 哲学的世界定位はほかのあらゆる世界定位の限界をあらわにするという。


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ばろきゃら紹介 身体論的実存主義  メルローポンティー 

身体論的実存主義  メルローポンティー

キャラクター   ポンチくん (ドロブック)

  ponti.GIF

フッサールは自分の心は何かと
心の旅に出かける。
そこで、様々な雑念、隣のおじさんの
オナラそっくりなくしゃみの音、車が空を飛ぶ音、
その一切をシャッターによって遮断し、
自分の心の奥底に純粋な心があることを
見つける。
ポケットからは3年前にキオスクの
おばさんからもらったお年玉を見つける。
自分にひきこもったがゆえに一人さびしくなる。
そこで、再度、外を見渡すが、
道行く人が人形のように見えてしまう。
たまたま、サンダルバード2号から
降りてきた隣のおじさんがただの人形
に見えるのだ。ここで、感情移入する。
わきの下をくすぐれば、笑う。
グリーンイグアナをおじさんの
パンツの中に強引に押し込むと泣く。
乳首を取り上げると本気で怒る。
自分と同じような感情をもっていること
を知るのだ。つまり、自分と
似ているということで、
彼が人間であると判断するのである。

 ところが、哲学者メルローポンティーは違う。
かれは、生まれたときから、
人間の体は世界と結びついているという。
どこから、自分でどこからが世界であるのか、
境界線がはっきりしない。
ハナクソをとっても、
ハナクソも顔の一部だといって、
それをつぶそうとする痛がる。
自分と世界が未分化の状態、
これを私や他人の区別がない状態
という意味で前人称性という。
人称とは、カップラーメンをストローで
飲んでいる私、それを手で食っている彼、
そして、箸で食べるあなた、
という私、あなた、彼、彼女、
ということだ。
  前人称性である赤ん坊が親が
世界に関わっているスタイルを見る。
両親が買い物で魚を購入するとき、
店員に「すいません、こいつ下さい」
といって財布からお金を出し購入。
本屋でサラリーマンの前を失礼するとき、
魚が泳いでいるような格好で通過したり、
ヒグマに襲われたときは、
獄付きをくりだす、など、
親の背中を見て育つのだ。
中に桜吹雪がかかれていたら、
それが目に焼きつく。
親が世間と関わるあり方を見て、
赤ん坊も自分と世界とのスタイルを確立。
自分と世界との間に境界線を
引くようになるのだ。
 他人も自分もはじめはいっしょくたのごちゃまぜだった。
これが、メルローポンティーの考えなのである。


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ばろきゃら紹介 現象学  フッサール 

 現象学  フッサール

キャラクター   ミニロピ

 mini.GIF 

哲風呂から抜粋

科学は帰納法という方法を使う。昨日、太陽は東から昇り、西へ沈んだ。その前もずっとそうだったから、今日もそうであるに違いないと考えるのだ。友人山田くんと富士山のゴーカードのコースを散歩しているとき、噛み付かれたことはないし、まして、食べられたこともない。また、成人式の市長さんが壇上から、突然、空高く浮上し、飛んでいったこともない。

 つまり、ある程度、妥協して科学や日常のものの見方は成り立っているのだ。

    

 ところが、哲学者フッサールはいう。厳密であれ、と。妥協なし、ともいう。

 自分の身の回りの世界、物理的な世界は先入観に満たされている。しかも、よく見間違えることもある。オスギンとピーコンを見間違えたり、動物園ではサルのお尻を飼育員の顔に見間違える。水族館ではシーラカンスの丸いオナラをフグに見間違える。感覚能力の信用できないのだ。

 しかも、普通に鼻くそを食べながら生活している世界は、自分の外にそれ自体で存在していると考える。このそれ自体で存在することを物自体という言い方をする。物自体は完全には認識できない。じいさんの周りを何回も周り、じいさんのすべてをみようとしても、無理である。まず、じいさんの自慢の盲腸は見ることが出来ないし、肩のフケがどんな形をしているかもわからない。わからないことだらけである。

 ここでフッサールは判断停止という方法を使う。エポケーともいう。

 この判断停止によって、自分の意識に現われた現象だけを純粋に見てみるのだ。現象学と呼ばれるゆえんである。だから、自分のイメージと物自体との間にズレがない。じいさんの盲腸を勝手に想像したら、イメージとのギャップは生まれるのだ。

 この判断停止という態度に切り替えることを現象学的還元という。ものの見方、態度を変化させ、自分が変身するのだ。 


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ばろきゃら紹介 プラグマティズム パース、デューイ

 プラグマティズム  パース、デューイ

キャラクター   ピラ田さん

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哲風呂から抜粋

哲学者パースはプラグマティズム、道具主義という考え方をする。かって、デカルトは我思うゆえに我あり、といった。すべてを疑っても、疑っている今、瞬間の自分の存在は疑えないとした。自分が存在しなかったら、疑うことすらできないからだ。

 ところが、彼は瞬間的に自分を認識している。ぷっという割れセンベイのかけらのような細かいオナラでも、ある一定の時間、なり続けている。我、自分を認識したり、モノを認識するときも、デカルトは瞬間的に認識すると考えているが、哲学者パースは、人間の認識は瞬間的ではなく、一定の時間が必要であると考える。人間はモノを認識し、これを記憶として蓄積している。ホクロを押すとかみつくおじさん。これは経験によってすでに記憶として、蓄積されたもの。次にこのおじさんと会ったとき、ホクロに触れないようにと注意を払う。つまり、認識は経験、記憶によって影響されているのだ。

 これは鼻くそだ、という認識ですら、小さな芋ようかん、丸くてかわいらしいもの、鼻くそ、というように、しばし、何秒間か時間をへて、鼻くそであると認識しているのだ。これらの記憶に蓄積された素材を記号といった。茶色くてくさいもの、うんこ、危険な人間のうんこ、というように、時間をかけて推論し、記号から記号へとうつってゆく。これを記号過程という。そして、自分の状況に応じて、マシンガンで攻撃するときは、謎の茶色い物体として表れ、植物に肥料を与えるときはうんことして現われ、空から降ってきたときは、危険な人間のうんことなって落ちてくる。つまり、自分の状況に応じて、様々に意味がかわるのだ。行動にそくして、ものの現われ方が変化するのだ。つまり、実用的かどうかがモノの価値を決定する。これをプラグマティズムというのだ。

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2005年05月09日

ばろきゃら紹介 理想主義 シェリング

理想主義 シェリング

 キャラクター シェル(ドロブック)

syeru.GIF 
  
 哲風呂から抜粋

 天才について言及した哲学者はシェリングである。彼はスピノザの汎神論とフィヒテの哲学を合体しようとした。

 スピノザは宇宙、自然のすべてが神様であるという。たった一つの宇宙、神様があるという汎神論という考え。そして、フィヒテは絶対に確実な原則から出発する。信用できるものからスタートする。寝癖が日本海の荒波のようになり、小指の先程度の目くそをこびりつけて、どろぼうのかついでいるような風呂敷をかつぎ、自分の前にへその尾を貸してくれと頼み込むアカの他人。信用できないを数値で表したら天文学的な数字になってしまう。僕、いくつ、と尋ねると、僕は天文学的な年齢と答える少年。天文学的なウェスト、バスト、足首の太さ。とにかく、信じるにたるもの確実なものとは、私は私であるという当たり前の事実である。これを第一原則と呼び、第二原則は私は私以外ではない、とこれまた当たり前。そして、第三原則で私は部分的にあんたであんたは部分的に私だ、という原則。あんたの大切にしているまつ毛、実はそれは私のものだとか、私の下唇を奪ってくれとウィンクをしながら頼み込み、なぜなら、この下唇はあんたのものだ、という。第三原則では自分と世界が溶け込んでしまうのだ。

 さて、シェリングはこんなフィヒテの哲学に対して、主観的観念論であると批判する。自分の心から出発して、結局は自分の中でもやもやしている。パンツの中に手を入れて、遊んでいるようなもの。自分の内面から一歩も外にでていないという。

 シェリングは、哲学とは自分の中のイメージ、表象と自分の外の実在するものとがどうやって一致するかを考えるのが哲学であるという。

 自分の中のイメージでは、ジーパンが黄ばんでいる青年の後ろポケットには身寄りのないぼろぼろのハンカチとティッシュが丸まっていると考える。実際には青年のポケットには黄ばんだ幸福のハンカチがたたんである。実在するハンカチとイメージしたハンカチ。これが一致するかしないか。心に描く宇宙のイメージ、表象と実在する宇宙の全体。これは、まず、実在する黄ばんだハンカチがあって、その次に自分のイメージがある、宇宙がはじめにあって、そこに自分の心が存在するという考え方、これを自然哲学という。もう1つは、自分のイメージがさきにあって、次に実際のハンカチや、宇宙全体がうまれると考える超越論的哲学。この自然哲学と超越論的哲学の二つの方向から真理を認識しようとするのだ。

 まず、超越論的哲学であるが、人間の認識は根源的感覚から出発するという。感覚とは、オナラくさいからもう仕訳ないがお尻をどっかにしまっておいてくれないかと頼む。臭覚や視覚などである。そして、生産的直感へとレベルアップ。これは産出的直感といって、何もないところから直感を生み出す能力。よく、ちまたでは、何もないところからチンコを出して放尿するという超魔術を電柱の脇で公開している。音もなくオナラ発生。いつのまにか、わきの下から体温計が自然発生。ケツの割れ目にマワシが挟まっている。無から産まれる直感である。そして、反省によって、冷静な真剣なマナザシで思慮深く考え込む。めがねをかけていないのに、目の間を指で押さえる。

 知的直感とは、経験的直感のように、目や鼻や耳の五感に頼らないで瞬時に認識する方法である。八百屋で、目をぎょろぎょろさせ、鼻をひくひくさせ、ベロをぺろぺろさせて、四足で徘徊。数人の警察官に取り囲まれて、すたんだっぷ、と言われる。いつしか、ハリウッドの映画の主人公。立ち上がっても、なおもすたんだっぷと命じる。それを繰り返していたら、いつのまにか、体が宙に浮いていたりする。寝ているものにシットダウンと命じ続けると、地中深くもぐってしまうのかもしれない。経験ではなく、目や鼻や耳を閉ざされて波止場に拉致られた状態でも知的直感によって、宇宙のすべてを瞬時に認識できるという。また、そんな状況でも森のくまさんの二番くらいまで歌え、ドレミのウタのファイトのファーでリキが入る。

 また、自然哲学は世の中にあるあらゆるモノは、有機的な関係をもつという。有機的とはなんだか、アメーバのようなイメージだ。友人は有機的な容姿と性格をしている、といわれた、アメーバを想像しがちである。モノは無意識である。石に話しかけてもしゃべらない。縁石に犬のふんをこすりつけても、おこらない。ガードレールに座ってオナラしてもガードレールに訴えられないが、おならは鋭利な刃物で切られたごとく、まっぷたつ。

 また、自然は必ず、矛盾しあうものがくっついてレベルアップするという。電気のプラス、マイナス、男と女、じいさん、ばあさん、ツガイが合体して進化する。そして、人間の意識がうまれるという。自然は無意識から発展して人間の意識へと移行するのだ。

 天才的な芸術家は美的直感、これは産出的直感の1つだが、これによって主観と客観、意識と無意識、自由と必然を合体させるという。宇宙と一体となるのだ。

 これはまた、自然哲学と超越論的哲学との合体でもあり、これによって絶対同一となり、絶対者、絶対理性というすごいものに到達しちゃうというのだ。これを絶対同一的哲学という。

 
 
 




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ばろきゃら紹介 実存主義 ハイデガー

 実存主義者 ハイデガー

キャラクター ハイデンくん (ドロブック)

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哲風呂から抜粋

哲学者ハイデガーはいう。
人の中に埋没し、我を失うこと。
これをタイラクという言い方をし、
非本来的な実存という。
  本来的な実存とは、今、なにをすべきか
を自覚して生きることだ。
便器の上でうんこがオナラしたら110番。
うんこにケツのアナがついていたら、
区役所に電話である。
 今、何をすべきかという自覚的な決断。
これを死への覚悟という。過去にさかのぼり、
自分がオギャーと誕生した歴史的背景を受け止める。
例えば、コンドームにアナあき靴下
よりももっと大きな穴があいていたなど。
これを世界に無防備に投げ出されたという
意味で被投性という。次に、未来の自分は、
いずれ、死んじゃうだろうと自覚する。
これを企投性という。
未来の限界と過去の限界を自覚することが、
覚悟というのだ。
こんなせっぱつまった心境で人は主体的に
生きることができるというのである。 
  
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ばろきゃら紹介 西南ドイツ学派 ヴィンデルバンド

 西南ドイツ学派 ヴィンデルバンド

キャラクター セイナンくん(ドロブック)

 seinan.GIF

 価値について考えを深めたのが、西南ドイツ学派。新カント学派の1つであり、ヴィンデルバンドが代表である。

 まず、ヴィンデルバンドの恩師であるロッツェの考え方である。実在とは一般的に肯定を意味する。カレーライスの中に将棋のコマがある。これが肯定性というもの。ところが実在とは必ずしも、肯定性だけではないという。ある、は、ない、に対して実在的である。チンコがついているオスのハエにかまれた、という芸能スクープ。ちんこがあるのは、ない、に対して、より実在的であるという。また、起こる出来事は起こらない出来事に対して実在的。将棋のコマがジャガイモを食った、ニンジンをよけた。ジャガイモを食べたという出来事は、ジャガイモを食べなかったという出来事に対して実在的。成り立つ関係は成り立たない関係に対して、より実在的である。手と手を握って友好関係。手と足を握ってなんかのプロレス技であるが、友好関係は、友好的でない関係に対して、実在的であるという。そして、妥当する命題は、妥当が疑わしい命題に対して実在的であるという。命題とは文章で書かれた事柄。妥当とはすぽっと当てはまることである。無理なくアナに入ったという感じである。例えば、人前で嫌がることをしてはいけない。オナラもそれに当てはまる。つまり、この規範は妥当するのだ。もちろん、香ばしい匂いのオナラは妥当しない。

 四種類の実在があることがわかったような気がする。おのおのの実在は混ざり合ったりしない。混ざり合っていいのは、ホットケーキの粉と牛乳、卵である。もし、出来上がりに粉が残っていたら、浜辺にいって打ちひしがれるしかない。

 ある、という実在は、起こる、という実在とは違う。起こるとは、出来事であり、走っているマラソン選手。走っているマラソン選手の銅像がある、とはいえる。しかし、走っているという出来事を固定的に、ある、と表現するのは難しい。うんこいているという現在進行形。うんこしているという状態がある、とはいわないし、しながら店頭に並ばされて売り物にされることもない。ある、と起こるは違う種類の実在である。

 同じように、命題の実在はあるのでもなく、起こるものでもない。サルも木から落ちる、という命題。よく、チマタで見かける光景だが、文章で表現され、命題となっている。これはある、や、起こるではなく、妥当するか妥当しないかである。当てはまるか、当てはまらないかか。事実と照らし合わせて、本当にサルが木が落ちたかどうかという価値判断である。
 起こる、という出来事は心の中にイメージできる。これを表象という。また、ある、とは自分の外側にオマルがある、とかである。命題はそのどっちでもないのだ。
 プラトンのいうイデア。いろんな形、色のパンツが世にはびこっているが、憎まれパンツは世にはびこるが、そのどれでもないパンツそのものがパンツのイデアである。ロッツェはこのプラトンのいうイデアを妥当性であると考えるのだ。

 そして、ヴィンデルバンドである。あるとしての実在。妥当としての実在。事実的なもの、リンゴがお尻の上にある。出来事として、これを弓で射る。リンゴではなく、お尻に直撃すべきだ、という妥当性。つまり、事実的なものと要求されたもの、事実と価値にきっぱりと分けるのである。

 しかも、価値の妥当性は主観である自分にくっついているもの。路上で転がっていたり、照る照るボーズのスカートの中にあるのではない。しかも、ここでいう主観は山田さんとか、橋本さんというような個人を意味していない。超個人的であるという。特定の誰かではなく、主観一般、自分一般なのだ。ここに真偽、善悪、美醜の価値が備わると考える。そして、この価値を実現すべく、評価作用である思惟、意志、感情によって、価値を実現しようとする。美しくなりたい。美しいという価値を一生懸命、努力し、うさぎ跳びをして実現する。価値の尺度を規範と呼ぶ。

 そして、哲学を三つに分ける。理論哲学は物事の真偽、倫理学は物事の善悪、美学は物事の美醜を扱うと、ヴィンデルバンドは考えるのである。

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ばろきゃら紹介  論理実証主義 ヴィトゲンシュタイン

 論理実証主義 ヴィトゲンシュタイン

キャラクター ナフキンス

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ウィトゲンシュタインの哲学である。前期と後期に分けられる。前期は写象理論と言われるもの。哲学者ラッセルは日常言語はいいかげんだ、という。ハシを渡っている水戸コウモン一同。頭の中に情景が浮かぶ。なぜだか、コウモンさまの両脇に金さん、銀さんがいたりする。うっかり八べーがホントにうっかりしてつまずく。とっさにコウモンさまの白髪をワシづかみ、根こそぎ白髪をひっこぬいてしまうのだ。スキンヘッドとなるコウモンさま。両脇にシワクシャの金さん、銀さん。遠目で見ると何だかアレに見える。
 このハシという言葉は黒豆をつかむときに時折使う。発音の仕方、唇の厚さによって意味が違ってくるのだ。こんなあいまいな日常言語を使わずに、白黒はっきりした明晰な人口言語を使った方がいいと考える。
 宇宙人のふんを発見する。宇宙人のふんは青かった、とカカーリンが言ったわけではない。この命題を要素命題に分析する。Xは宇宙人のふんである。そんなXが少なくとも1つある。それは青色をしている。この三つの要素命題にみじん切りにできるのだ。これをラッセルの記述理論といった。ウィトゲンシュタインはこの要素命題の一つ一つが世界にある事実と対応していると考えるのだ。あたかも、ハヤシヤペーパーがカメラでウミガメのアクビを激写するように、克明に世界を要素命題として写し取る。これを写象理論という。
 ところが、ヴィトゲンシュタインはこの写象理論に否定的になる。言葉は私的につかえないという。ア路上に転がっていたアンペンマンの腐ったアンパンを食べる。次の日、お腹が痛くなる。なぜだか、お尻も痛いし、心も痛い。心霊手術でヘソのごまをとってもらってもなおらない。北斗の健次郎につむじをおされても、次の日、ゲーリーである。お腹が痛いと心の中でつぶやく。ところが、この痛いという言葉が正しくその痛みを表現できない。ちくちくするのか、ぬるぬる痛いのかもわからない。つまり、私的に言葉は表現できないという。
 そして、言葉とは要素命題と事実が一対一できれいに対応していないという。なんで他人のケツをふかないといけないんだ、と嘆く。こんなとき、そのおじさんが本当に他人のケツをふいているところをイメージするのか、もっとちがう意味で使っているのかは、この表現だけではわからない。つまり、文脈で言葉の意味が決まるというのだ。流れの中で理解するのだ。あっぽーという言葉も、試食にありつけて喜びいさんで放った言葉なのか、相手の尻尾に四の字固めをかけているときに放った言葉なのかは、流れの中で理解する。ばか、という言葉も使う場面に応じて、愛情表現になったり、わきの下にH2ロケットをはさんで体温をはかろうとする少年に言い放った言葉かもしれない。言葉が文脈で決まることをゲーム理論という。つまり、自分と会話する仲間の間でゲーム、ルールが作られ、そこで言葉が使われる。バナナやりんごを食べると一機増えるというルールではない。
 その時々の状況でゲーム、ルールが作られ、そこで言葉の意味が生まれるのである。


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2005年05月08日

ばろきゃら紹介 フロイト、ユング 心理主義

 心理学主義  フロイト、ユング

キャラクター  ビビ

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心理学者フロイトはエス、自我、超自我という三つの概念について考える。エスとはお気に入りの洋服がエスサイズでMやLを探そうと本気を出すときのあのSではない。見つからずに奈落の底に落とされた気分になる。フロイトのいうエスとは、生まれたばかりの赤ちゃんのように人称性のない状態。人称性とは英語の時間に習った一人称、二人称のアレである。理科の時間にバーナーであぶったミジンコではない。私とか、あなたとか、彼ら、という言葉で表現されるもの。赤ちゃんは自分と他人をはっきりとは区別していない。そして、本能、欲望の赴くまま行動するのがエスである。これは快楽の原則に従う。ところが、欲望を満たすため、今はじっとこらえていた方がよいときがあるのに気づく。じいさんの白髪を抜く快楽。それにトリコになる赤ちゃん。ばあさんに、うちのもんに何するだーっと叱られる。じっと我慢していると、こんどはばあさんにいい子いい子される。しかも、ダチンとして、白髪のデラックスセットを買ってもらえるのだ。

 我慢をして本能を抑えた方が大きな快楽を、たくさんの白髪をもらえることを知った赤ちゃん。今度は現実の原則に従って行動するようになる。

 欲望が暴走することを防ぎ、自分の危険を避けるために現実原則に従う自我が誕生。

 自我はエスと現実とのバランスを調節する。この自我の調節機能におおきな役割を与えているのが、両親である。両親の機嫌をうかがいながら赤ちゃんは行動するようになる。回転すしを食べ過ぎると、両親の目が青白く光る、少し遠慮する。今度は、じいさんの入れ歯を宇宙船に見立てて遊ぶが、親の目をきにしながら度を過ぎない程度に遊ぶ。しかも、宇宙船にそっくりな近代的入れ歯だ。金歯、銀歯、操縦席、モニター、などが付いた入れ歯。缶コーヒーを買ってあたったらしい。

 すると、両親の心を探ろうとし、両親の性格、精神を自分の中にイメージする。この両親のイメージを超自我という。もちろん、両親がネクタイをして、ラジオ体操をする良識を持った社会人であれば、その両親のイメージ、超自我も社会的な規範を持っている。

 この超自我を見つつ、自我がエスを抑える。エスという欲望が行き場を失って逃げ込むのが無意識という場所なのである。
 
 
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ばろきゃら紹介 経験主義 ジョンロック

 経験論者 ジョンロック 

キャラクター ナス

 nasu.GIF
 

 経験論的にモノを見る。もちろん、他人の目を借りてきて見たものは信じないし、人から聞いたことにたいしても自分で見ないとちょっと疑わしい。老人がワンホールのショートケーキの上でプロレスやってた、とニュースで報じていた。もちろん、この情報を鵜呑みにしない。りんごは丸ノミすることはある。何度も同じシーンをテレビ画面に映し出されるとだんだん信じてくる。
 また、繰り返しおなじことを見ると、規則性を作りたくなる。友人はあくびする前、毎回、シャドーボクシングをはじめる。何度も、シャドーボクシングをしてから、大きなアクビである。つまり、シャドーボクシングをはじめたら、アクビするだろう、という数学の方程式を作りたくなるのだ。

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