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2006年11月02日

仙人養成講座 哲学列伝ゼータ ドゥルース、ガダリ 

ドゥルース、ガダリは落ち着きのない、いつも動いてる社会、ダイナミックな社会が文明社会だという。じーっとしてるのでなく、貧乏ゆすりで自家発電。少しづつ、まえに進む。バッターボックスにたってとも、いつも、小さな枠の中を忙しく動いてる。じーっと存在してるだけの銅像のようなものでなく、新陳代謝はげしすぎて、三日で別人になっちゃうようないつも生成してる世界。そんな社会、世界を認識するには、モノの見方を変えないといけない。視力検査で検査員にウィンクしてるいとまはない。動体視力でハエをみるようなもの。弁証法的なものの見方も、たしかに、変化する社会を認識する方法ではある。矛盾しあうものがであって、けんかして、仲直り。あまつさえ合体して新しいものができちゃう。弁証法を超えて、ガダリたちが考えたのは諸機械、器官なき身体という聞いたことがない概念である。
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2006年11月01日

仙人養成講座 哲学列伝ゼータ ドゥルース、ガダリ 

ドゥルース、ガダリの脱構築の哲学である。まず、レヴィストロースの構造主義を批判する。ヤリをもってイノシシ追い掛ける未開民族。現代人はドライブスルーでハンバーガーとカーチェイス。ハンバーガーに足挟まれた。スペアの足もってこい、と職人カタギの少年叫ぶ。未開民族ではさまざまな交換システムがある。目にみえない構造が支配してるという。しかも、文明社会と同じ構造だという。人間は自分がなんだかわからないなんかのカタマリとして存在して、そのあとに、自分自身が自分をこねて形にする。実存が本質に先立っちゃう、というサルトルの実存哲学を批判したレヴィストロース。はじめから目にみえない構造に支配されてる。サンダルバードの隊員は自分が操られてることにきがつき、レジスタンスを結成。ところが、レヴィストロースのいう未開民族の構造は、動きが少ない、じとーっとしてるとガタリたちは考える。文明社会は、動きのない構造がどーんっとシコダチして身構えてるので鳴く、せわしく構造と構造がくっついたり、離れたり落ち着きなくダイナミックなんだと考えるのである。
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2006年10月31日

仙人養成講座 哲学列伝ゼータ ポールリクール

 口から出た言葉は、話し手と聞き手に全面的によりかかってくる。ごりらやチンパンジーが耳たぶにぶらさがって吠えてるようなもの。すくなくとも、自分が存在しないと生活のすべを失うチンパンジー。日ごろの糧をえるために楽しそうにぶらさがってる。さて、耳たぶをひっぱられるとべロがでちゃうという人は世の中にたくさんいる。ぶらさがらないで、自立してるチンパンジーが、ここでいうテクスト、つまり、紙に書かれた言葉である。テクストを目の前にする。コンビニでコモン書の立ち読みである。すると、そのテクストにかかれた言葉は可能性の世界を指差す。可能性の世界、象が空飛んでたり、美しいスカンクがいたり、夢のような世界が目の前に広がったとき、読者はちっぽけで有限で、胸毛もたかだかがんばれ一夜でかぞえられちゃうくらい有限な自分が消えてしまう。そして、非常に壮大なスケール、可能性となって自分が現れるのである。
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2006年10月27日

仙人養成講座 哲学列伝ゼータ  ポールリクール

言語記号であるが、乳牛のおっぱいをもめっと叫んだり、逆上がりの炎の練習時間がやってまいりました、とスカートをはいた眉毛の濃いスパルタンおじさんが棒をもってしゃべってる。口からでまかせ、とよく言うが、口からは言葉がでてくる。話言葉である。不審人物と未来について熱く語りあったり、しゃべり言葉あってこそコミュニケーションが成り立つ。これにたして、秋の夜といったら読書。かれは本の虫だから、っと言った瞬間、彼は殺虫剤かけられる。虫なのである。小説を読んでる人。目だけが動いてる。本にかかれた文章をテクストという。つばをとばしながらしゃべる話言葉と、本にかかれてるテクストは明らかにちがう。話し言葉は話し手の副話術人形と聞き手の耳がないといけない。言葉は全面的にしゃべってる人に依存。これに対して、テクストは、著者がボールペンなめなめしながら殴りがき。書き終えて著者の手元を離れ、読者の手まで飛んでゆく。読者はいつもよんでるわけではない。本棚の奥にしまいこまれる。当たり前であくびでてきちゃうが、そんな一冊の本は著者、読者とは関係なく自立して存在しちゃってるのだ。著者はいま、ウォータースライダーにのって、悲鳴あげてるかもしれず、その本の持ち主は無人島に豪邸立てて生活してるかもしれない。テクストはそれ自体、自立して存在してるのである。
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2006年10月25日

仙人養成講座 哲学列伝ゼータ ポールリクール

さて、記号であるが、いろんな記号が世の中には存在する。地図を上空3メートルくらいから眺めると、いきなり、なすかの地上絵は見えないが工場のマーク、神社のマーク、山田くんちのマークが見える。さすがの身長2メートルの巨人も、下をむいてもナスカの地上絵は見えない。記号といったらやっぱり言葉、単語である。しかも、単語、記号に意味がこびりついてるのではないという。冷蔵庫とってきてくれっと亭主関白が叫ぶ。冷蔵庫という言葉は、洋服ダンスや滑り台、という他の言葉、単語、記号との違いから意味を作りだすのだ。背がでかいっというのも、他の友人との違い、比較によって成り立つのと同じである。そして、この単語と単語の違いから意味がにょろっとでてきて、現実に存在する冷蔵庫を指し示すのである。

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2006年10月21日

仙人養成講座 哲学列伝ゼータ ポールリクール

  ポールリクールは構造主義者ではない。構造主義は、まず、主体として自分がいるとは考えない。すべてにさきだってかけがえのないあたしがいるのよ、っとゴンザレスというゴッツイ男は叫ぶ。自分の存在があって、つぎに、自分が自分自身を何者かにする。つまり、足を伸ばして、長身のいけメン野郎になったり、腕を伸ばして、オラウ―タン風チキンカレーにでもなる。そうではなく、なんだかわからない自分の存在にさきだって、あらかじめ、目にみえない構造というものがあるんだよ、というのが構造主義者。それが自分が生まれる前からあった言語体系、つまり、ラングだという。私が朝の便の色つやについて演説してるが、嫌が上でも無意識に日本語文法に則って正々堂々語ってる。自分は言語体系、文法、ラングという構造にはじめから束縛されちゃってるのである。ところが、ポールリクールはなにかをぼそぼそっと語ってる自分、主体だけでなく、また、はじめっからある言葉だけでもなく、自分の存在と言語と現実の三つ巴をかんがえるのである。3者面談では誰が一番強いか、偉いかではなくバランスなのだ、と栄養士はいうのだ。
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2006年10月18日

仙人養成講座 哲学列伝ゼータ ポールリクール 

ポールリクールである。フッサール哲学に影響されて思索した哲学者である。フッサール現象学の得意技がある。手打ちそばにもさまざまな技があるが、必殺技もあるにちがいない。職人技である。そばに間接技をかけちゃう。フッサール現象学のそれは本質直感である。いちいち人のお尻を舐めまわすように見て認識するのでなく、お尻だっと一発でわかる。お尻そのもの、お尻をお尻たらしめてる大切な性質、つまり、お尻の本質をまず感じ取っちゃうのである。三角形の本質を瞬時に直感。人間は皆、天才である。ところが、こんなフッサール現象学をポールリクールは批判する。瞬時にぱっと見でわかるのでなく、首をかしげながらいろいろと解釈してる、というのだ。お尻なのか、はたまた、惑星なのか、ややもすれば、地底人の顔かもしれない。じっくり煮こんでワラぞうりをつくるものでないが、じっくり煮こんで解釈し、自分なりの認識に到達するというのだ。

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2006年10月12日

仙人養成講座 哲学列伝 ミシェルフーコー

ミシェルフーコーである。いろんな個別な科学を研究するフーコー。科学の歴史、医学の歴史である。歴史は年表をおぼえるのが大変である。いいくにつくろう鎌倉幕府。ごろで覚える。そんなとき、願いましては1159円なり、っと暗算はじまったら、とりあえず、頭が混乱して足の裏が噴火寸前である。科学の歴史だけを血眼になって研究するのではない。じつは、科学の知識が誕生するのは、科学の歴史だけでは説明できない。いろんな社会的な条件が影響与えてる。なぜ、突然、私が走ったのか。白クマに追いかけられてるということだけでなく、お尻がやけるように熱かったという要因もある。社会の権力構造が科学的な知識誕生にかかわってると考えるのである。近代では、まず、自分がいて、どうやって世界、宇宙が存在するの、っという順番でモノ考える。こんな自分の存在を超越論的主観という。超越は何かを超えてみること。超越について論じる、つまり、見ている自分を見ることが超越論的である。そんな自分、自分、と懐中電灯で自分ばかりてらしてるのでなく、じつは、自分の存在が社会の権力の構造に埋め込まれちゃってる、というのだ。
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2006年10月10日

仙人養成講座 哲学列伝ゼータ レヴィストロース 

   レヴィストロースの神話の論理である。なんと、世界中の一見関係なさそうな神話をピックアップする。プロレスでギブアップでなくピックアップする。拾っちゃうのである。おとしてしまったつけマツゲを拾うのである。幸いつけマツゲはパラシュートして一命をとりとめました。世の中にはいろんな神話がある。もちろん、登場人物はみんなちがう。日本では妖怪なんぞでてくる。外国では人魚や金魚が登場である。一見、まったく、関係もないし、登場人物もまったくちがうのに、じつは、いろんな神話には共通する要素もってるという。よーく、みると似てるのである。じつは無意識のうちにいつでも、どこでも、だれでも同じような共通のパターンがある。正義の味方がいて、悪漢を洗濯ばさみをはさんで退治する。どこにでもみられそうな神話である。さまざまな神話の大元には、すべてに共通するパターン、構造があり、人間は無意識にそのルールに従っちゃってるのである。
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2006年10月08日

仙人養成講座 哲学列伝ゼータ レヴィストロース

構造主義といったらレヴィストロースである。人間と世界との関係ってどんな関係かを考える。靴下と足の関係は食べる、食べられる関係。毎朝、靴下に足食べられております。親指ふきんの穴から排便する靴下。人間と世界との関係は目にみえる現象ではわからないという。たしかに、人間観察しても、小学生が手放し運転してる。さるが木が落ちる。下でキャッチャーがキャッチ。勢いあまってイスにこしかけ、ぶーぶークッションのワナにひっかかる。世の中の現象をただ見ていても、人間や世界についてわからない。じつは、人間と世界が成り立ってる根本、もっと足元をみないといけない。お茶を飲んでる人ならば、座布団である。座布団の下に秘密隠されてるのである。座布団をめくると、そこに電子回路がかくされてる。じつはお茶を飲んでるおじさんは機械によってあやつられていた。世界や人間もじつは、土をほりかえすように、目にはみえない構造に支配されてる、というのである。レヴィストロースは未開社会の配偶者の交換に着目する。結婚相談所をたくみに使って配偶者をさがしてるのではない。じつは目にみえない、また、その社会をつくってる人たちにも気が付かれてない無意識のレベルで構造に支配されてるというのだ。サンダルバードの隊員も目にみえない糸に操られてる。われわれが普通に話してる言葉。無意識に、言語の文法に則ってる。これも目にみえない構造に支配されてる例である。
   
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2006年10月07日

仙人養成講座 哲学列伝ゼータ 構造主義

構造主義である。実存主義では世界の中心は人間、自分だった、たしかに、暴走族が自分を中心にぐるぐるまわってるとき、原子の構造に思いをはせ、おもわず、すいへーりーべっという化学記号の呪文をくちづさんでしまうものである。営業マンが訪れる。世界の中心は私で、私が主人公ということもありまして、とりあえず、羽毛布団買ってください、と言っている。いかがわしいインチキ業者の匂いがしたから、とりあえず、国際救助隊に連絡、にんじん1号、だいこん3号出動である。世界の中心だというニュアンスをこめて、自分のことを主体と呼ぶ。ところが、これとはまったく正反対の哲学が登場する。構造主義である。哲学者デカルトはあらゆるものを疑った。コンビニで立ち読みしてる力士を見て、にせもんだっと指さす。すべてを疑っても、疑ってる自分の存在だけは疑えない。我思うゆえに我あり、である。こんな自分の存在は、宇宙、世界の外にいて、世界をぼーと見ているのだ。これを近代的自我という。ところが、構造主義は世界、宇宙の全部をながめることができる特別席を否定。人間も普通のイスの上にこしかけ、床があるおかげさまでこうして元気でいられるのである。自分の存在も、目に見えないさまざまな構造によって組み込まれてるというのである。
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2006年10月06日

仙人養成講座 哲学列伝ゼータ メルローポンティー 

晩年のメルローポンティーの哲学である。たとえば、自分が背中をかいてくれたので、欧米風に自分に感謝して、右手が左手に握手である。右手が左手をさわってる。左手はいわば、いつも、手にしてる木刀とおなじ物体のように感じ取っている。握ってる右手、握られちゃってる左手。お尻をふくときも、拭いている右手、ふかれちゃってるお尻。このとき、左手もお尻も世界に存在する物体とおなじ構造だという。ところが、9回裏逆転さよなら満塁場外ホームランである。こんどはなんと、左手が右手をさわってる、右手を物体のように感じてるのである。もちろん、お尻の割れ目も右手をはさんで、物体のように感じてる。逆転現象である。さわる、さわられちゃった関係が逆転。相互転換したのである。右手が世界に存在する犬のふんと同じように物体になった。こんどは左手が主人公である。右手つまりは肉体は世界と同じもんでできてる。おどろきのあまり口ふさがらなくなってしまう。そして、さらに拡張して、自分の肉体のすべてが世界にあるモノのようになっちゃう。さらにもっと拡張、背伸びしちゃう。背伸びする猫、背伸びする海老。腰がごりごりなっている。世界、宇宙のほうが自分を感じ取っちゃってるのである。世界が自分をさわってる、見てる。ときおり、ひとりぼっちで机のしたにもぐってるとき、かべや机から視線をかんじちゃって、裸の自分がはずかしくなるのだ。

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2006年10月05日

仙人養成講座 哲学列伝ゼータ メルローポンティー

経済的、金銭的なことがせっぱつまったとき、さすがに発狂する。そのとき、経済が自分を付き動かす。たとえば、後ろ四次元ポケットにイガグリをいれておく。日常生活、目の前にあるみかんの白い部分をとるのにいそしんでるとき、あまり、ポケットの中のイガグリに影響されてない。ところが、わけあってイストリゲームに参加しないとバナナたべちゃうぞと脅迫されて、やむなく出席。イスに座った瞬間に悲鳴あげる。ケツにいがいが刺さる。ここで、自分の行動を決定的につきうごかしたイガグリ。つまり、普段は、前ポケットの中の剣山、靴の中のなめくじなどなど、いろんなことを感じ取ってる。ある段階に達して、イガグリが全面的に主人公になる。マルクスの経済決定理論を批判して、メルローポンティーは歴史の実存的理論を提唱する。自分の身体は世界の中にどっぷつかって、いろんな影響うけちゃってるという。そうやって、歴史の流れは、イガグリだけでなく、無数のものにつっつかれてる。よって、歴史はどう進むかわからない、偶然的だというのだ。

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2006年10月04日

仙人養成講座 哲学列伝ゼータ メルローポンティー

よって、科学者は社会の構造を研究するが、あくまでもそれを単純化して考える。これをモデル化という。これが僕で、このノートの余白にキミがいる。こうやって、ノートにスコップ人間描きこんで、自分と友人の三角関係について話し合う。友人の顔をリアルにかかずに、あくまでも、単純なスコップ人間で表現。これをモデル化というのだ。

  メルローポンティーはマルクス主義に同調しない。マルクス主義だと、歴史の流れは経済的なきっかけが作っていると考える。決定論である。おとしだまがみんなより少ないから旗揚げして、蜂起する。たちあがって抗議デモ、座りこみでなく、ネタきり運動の開始である。ところが、社会が変化する原因はかならずしも、金、経済だけではない、と考えるメルローポンティー。お年玉くれたおじさんが臭いから抗議してるのかもしれない。人間の身体もさまざまな部分が複雑に影響しあってできてる。小鼻の動きがはげしくなったから、いきなり、走りだしたのではない。小鼻も、お尻も、いろんなところが痒くなり、いたたまれなくなって走りだしたのである。すべてのパーツがすべてのパーツに影響与えてる。鼻とケツ、ケツと乳首。無数でしかも、複雑にからみあってるのである。
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2006年10月03日

仙人養成講座 哲学列伝ゼータ メルローポンティー

メルローポンティーはさまざまな構造の上に人間の意識があるという。ざぶとんに座ってるとき、座布団に意識集中してない。なにやら、サイケデリックな模様の座布団ならば、その怪しさゆえに、どうもさっきから気になってもいたしかたない。普通にあるいてるとき、足元の地球について意識集中しない。人間の意識も、おおもとには身体と世界がとけあってどろどろしてる世界があるという。そこにあらかじめ意識しなくといろんな構造が存在するのだ。まず、言葉である。言語体系、文法を意識して、集中しながらしゃべってない。主語と述語、形容詞を正しく使おうっと意識しながらしゃべってない。自転車の運転も、自転車の構造、車輪の回転速度意識しながら運転してない。また、経済活動にいそしむ。ガムを100エン支払って購入。経済の構造について勉強しないとガム買っちゃいけないというわけでもない。いろんな構造を知る以前から、構造に影響されちゃってるのだ。サンダルバードの隊員も、自分が操ってるのは誰かなっと上目使いで見る以前からあやつられてる。どんな構造かをゲットするのでなく、構造がわれわれ人間をゲットしてる。そして、いろんな構造があるが、そんな構造の構造があるんだよ、と主張するのだ。
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2006年10月02日

仙人養成講座 哲学列伝ゼータ メルローポンティー

構造主義というものがある。たとえば、親族組織、親戚のおばさんが家にくる。かしこまって、まず、自分の生物学的特徴を述べた後、お茶をだす。近況報告におとずれるのである。ひざに水がたまったとか、ひざ小僧がしゃべったという驚くべき発言が連発である。おしゃべり好きなおばさんである。パチンコでフィーバーしたかのように、せきをきったようにしゃべりだす。背中をみると、その凹凸感、なんとなく、ぱちんこ台にそっくりである。日本においての親族関係と、いのしし追いかける青春、未開社会の親族関係は基本的に同じである。服をきてるか、着てないかである。やっぱり、やりをもった現地人は最近、夫がうわきしただの、石遊びに夢中で月末の支払いのままならないなど、基本は同じ悩みかかえていたりする。つまり、目には見えない構造がいっしょなのである。これがレヴィストロースの構造主義である。


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2006年10月01日

仙人養成講座 哲学列伝ゼータ メルローポンティー 

さて、メルローポンティーはソシュールの言語学に共感する。ソシュールは、言語は差異、違いによってできてるという。まず、言葉には文法がある。言語体系といい、これをラングと呼ぶ。言葉のルールである。このなかで、記号とか、単語の意味が発生するという。おっぱいという単語を連発。おまわりさんが近づいてくる。おっぱい、という言葉、単語の意味は80才以上100才以下の男性ならば知ってるはずである。おっぱいという単語におっぱいとはなんぞや、という意味がこびりついてないという。もしそうならば、日本語の文法、言語体系をしらない外国人もすぐに理解できるはずである。言葉に意味がくっついてるからである。ところが、文法、言語体系、ラングを一生懸命、学ばないと意味は理解できない。だから、食いもんか、おそろしい怪獣かと、勘違いしてしまい気の毒な目にあってしまう。おっぱいは、冷蔵庫や洋服タンスなどの単語と肩をならべて写真とったとき、その違いがあきらかになる。他の言葉との違いから意味がうまれるというのだ。おいしそうなりんご、はまずそうなアフロへアーと比較してうまれる意味である。世の中でそのりんごしか存在しないならば、おいしいも、まずいもないのだ。
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2006年09月30日

仙人養成講座 哲学列伝ゼータ メルローポンティー 

スタイルといってもスタイルがいいとか、ぼんきゅーぼん、きゅーきゅーぼんだとか、いつしか、モールス信号のような響きになってしまって、ご迷惑をおかけしてしまうのだが、とにかく、体つきではない。身体は世界、宇宙の中にどっぷりとつかってるのである。お風呂につかって、ボールチェーンがお尻の割れ目ちゃんに食いこむのである。割れ目くんである。成人男子で立派な男である。男一匹ではなく、ダックスフンド3匹である。とにかく、身体と世界とはとけあってる。そんなに濃厚なからみ、エロビデオでも料理番組のとろけたビーフカレーでもみたことがない。この身体と世界との世界内存在の現れがスタイルなのである。

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2006年09月29日

仙人養成講座 哲学列伝ゼータ メルローポンティー 

  さて、メルローポンティーの絵画論である。キャンバスに絵をかく。はみ出さないように注意。絵の具が手についたら絶望的である。絵画とはやるか、やられるか。つくか、つかないかである。絵をかくとは、かならずしも、教科書の聖徳太子を改造することだけではない。マルローは近代絵画は作者の創造性によってかかれたが、古典絵画はただの模写だという。ほくろが直径は3cm。忠実に描く。これにたいして、ある画家はそれを直径30cmでえがいで、爆発だ、っと叫ぶ。黒い絵の具がいっぱいあまっていたからではない。かといって、画家のきまぐれによって、にくしみこめてほくろでかくされたのではない。メルローポンティーは世界を描くとき、画家の身体はもちろん、世界にどっぷり頭までつかってる。そのつかりかたをスタイルとなづけ、身体と世界がとけあってる共通の世界から画家の創造性が生まれるというのだ。

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2006年09月27日

仙人養成講座 哲学列伝ゼータ メルローポンティー

メルローポンティーは、自分と他人がこんなふうに、たがいに石にしようと戦いあっていないと考える。ここでもやっぱり、身体の世界内存在の登場である。世界の中に体がどっぷりつかってる。自分の意識はときに、てんとう虫のシラガを抜いたりと、意識集中してる。自分のことも考える。将来の進路を考えて、結局、右の道からゆくことにしました、とあっさり答える。意識は身体という実存する土台の上にある。他人の身体も意識の土台、座布団であり、世界の中にどっぷりである。座布団の角にひもがいくつも付いてる。なんとエレガントなんだ、と感動しつつ、身体は世界の中につかる。ここで、自分と他人の身体は、結びついてる。くつひもがつながっていて、3人5脚の競争ではない。私、あなた、かれら、などの人称がなりたつ前の世界。私もあなたも、それも、ごちゃまぜの世界。これを前人称性という。この世界でつながってる。自分の体の細胞が連絡しあって、私の全体をつくってる。これをおなじように、私と他人の身体もつながってるのである。よって、フッサールのように、じろじろ他人をながめて、自分と他人との似てるもの探しして、こいつには心あるにちがいねーっと推論してるのではないのだ。はじめから、他人とごちゃまぜ、自分、他人の区別のない世界があるのだ。
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